1300年つづく 修験道の道 熊野本宮へいたる 大峯奥駈道 ユネスコ世界遺産 歴史の道 2004年登録 えーと先週水曜 あさ8じすぎ 滋賀永源寺の家から 名神八日市 1時間で京都五条 清水のお店に納品 京都駅にまわって カミさんと運転交代 出発
第一日 京都駅 出発 10:15 近鉄の特急で八木駅へ 橿原神宮前でまた吉野線に乗り換え 運賃¥1140 特急料金¥870 そもそも なんでヒトは山に登るのか? そこに山があるからだ と エドモンド・ヒラリーはゆーた 35年前にぼくの入ってた城南高校山岳部の顧問の和田センセは アホとケムリは高いトコにあ上がりたがる とゆーた どちらも 至言である 究極のムダですわねー 山登り 登ったからちゅーて ナニがあるわけでもない シンドイ思いして登り そっから下りてくるだけ だいたいヒトは平地で暮らすよーにできてる動物 山に行くなら 衣食住ゼンブ を背負って登らんなん テント 寝袋 着替え 雨具 煮炊きの道具 7日分の食料 そして 水が 2リットル 削りに削って 13キロでしたわ ぼくのザック そんだけのもんかついで 自分の足で 登って 下りる 究極のムダ とゆーわけで・・・終点の吉野まで行かんと・・・ 2駅手前の 六田:むだ の駅で下りて 12:09 歩き始める 柳の渡し 河原に下りて吉野川で 禊:みそぎ=手足を洗って 美吉野橋を綿って左へ しばらく行ったら谷があって そこに看板 「脳天さん・吉野山」 となってるんで そっちに進んだ これじつはマチガイ ほんとはもう少し行くと 吉野神宮があって もうひとつ向うの谷に入るのが ガイドブックに載ってたコース ひとつ手前の谷に入ってしもた けど結果オーライでしたわ 人・クルマのすくない谷の車道をつめて行く なんかオカシイなあ 行者堂も吉野神宮もないなぁ で 龍王院についた 別名 脳天さんとゆー お寺とゆーか 神社とゆーか・・・ 神仏はいまも混交してる んですわ吉野や熊野では それが本来のカタチ 民俗宗教の素直なあり方 明治の神仏分離 廃仏毀釈までは神仏混交してた 日本古来の伝統 山岳宗教=修験道での神と仏のあり方 験:しるし を 修:おさめる 道=修験道:しゅげんどう ともかく吉野山の蔵王堂に行く道がわからんので聞いてみたら この脳天さんの 490段の階段を上れば蔵王堂にでる やれうれしや と上りつつ 谷ひとつ取り違えたことを知る よき先達はあらまほしきことなり とぞ覚えしか 初めてで一人 奥駈道を行く方は あの看板には ご注意されたし 金峯山寺:きんぶさんじ に裏のほーから入る おーきな御堂 到着14:30 そこが 蔵王堂 国宝 日本第二位の大きさ 東大寺のつぎに大きな 木造建築 本尊は秘仏3躯 蔵王権現立像 8メートルちかい巨像 写真で見る 蔵王権現 憤怒相:ふんぬそう 荒ぶる神 怒り狂い 災い為す 神であり仏 青い身体 脇持仏2体も 青い巨像 憤怒の相 おそろしい神であり おそろしい仏である 1300年前 修験道の創始者 すべての修験道の源 役小角:えんのおづね その行状 続日本記にある 実在の人物 これは5/7 岐阜の恵那山 前宮口ルートにあった役小角像 また役小角の伝承 あまた これあり 千日間の山上ヶ岳 での山上籠参の後 開眼した尊像=蔵王権現の姿を 桜の古木に彫った とされ ゆえに吉野では 桜は神木 聖なる木
平安以降の 蟻の熊野詣 修験道の隆盛で 詣でる者たちからの桜の献木寄進 続き 下千本 中千本 上千本 奥千本 その実数は10万本を越える 桜の吉野 ができた 宗教の力のすごさ・・・・ 今から歩く7日間の加護もとめ 手を合わす 内陣にはいって諸仏を拝観する 6月の平日 白い山伏装束の団体客たち すこしくおられた 門前に茶店で 葛きり ¥800 本物の吉野葛の口当たり やわし やさし 生まれて初めて食べたのかも 黒蜜の味 あまし やさし さきほどの山伏装束の方々らしき もんのすごくヘタな 法螺貝の音 が聞こえるが ご本人も恥ずかしかったのか すぐに止む ホラ貝を吹く練習って どこでやるんやろー? 門前の土産もん屋の並びに 仏具法衣の店 山伏装束の方々も入っていく 見ると目立つトコに 法螺貝 !! ¥75000!! もするんやぁ!! 3時すぎ ガイドブックを見て どっか泊まれるトコないか電話 まず宿坊に電話するも 今からでは食事ができないと言われて フツーの民宿にする 気楽でなかなかエエとこでしたわ 宝山荘太鼓判 一泊2食 ¥6300〜 07463−2−3071 はい この日は4じに宿入りして 翌日に備える はい 歩行時間3時間ほど 距離7キロ 歩数1万2000歩 翌朝 6じ朝メシ
はい2日目は 山上ヶ岳の宿坊まで つづきは また明日♪
奥駈道2 朝めしの器 |