これも いのり
これも いのり
これも いのりだ
ひさしぶりに 絵を描いた
ぼくは 絵を描くのが 好きで 得意なこどもだった
『とびぼう研究』と『いのりのかたち』をここまで書いてきて、ふつーのヒトの『絵心=創作への意欲』におどろかされてるうちに、美術、絵画についてちょっと書いてみたくなりました。
山里の春 部分 子どもが生まれ ヒヨコも生まれ
3才のこどもが しろい紙に エンピツで線を引く
ぐるぐるグルグル・・・とかいいながら
いっしょうけんめい線を引く
その一瞬だけに意識を集中して
たのしんで線を引く
根源的に表現してるってこと
ほんとの絵を描いてるってこと
秋の山里 部分 キツネやタヌキも里ちかくおりてくる
漫画ばっかり読んでました。
漫画ばっかりマネしてました。
ゲームがない時代、あるタイプのこどもは紙とエンピツだけで遊んだ。
その中でまわりの大人に「うまいねー」といわれる子は
もっともっと漫画をマネします。そりゃウマクなります。
もともと絵をかくのが好きやけど、ほめられるからもっとウマクなります。こどもは評価されることを(ほめられること)を本能的にもとめてる。ほめられたいって欲求がある、これは大人もおんなしですねー。
でも大人のつくった『評価の基準』ってかなりイイかげん。
美術の領域で特にそーかなー
・・・でもほめられたこどもはそのうち自覚する、『ほかの子とくらべて、自分はウマイ』ってね。
これって「テクニック」だけのモンダイなんです。
テクニックって技術ですから訓練すればカンタンにのばせる。訓練には継続がダイジ。ほめられる子は続ける・・・
でも・・・「うまい絵(だけを)をほめる」って
ケントーはずれかも。
美術/芸術って・・・「表現したいとゆー欲求」がもっとも根幹にあるべき。その欲求を実現するには表現技術がなきゃなんないんやけど・・・学校ではその表現技術の優劣を数字であらわす。54321って。
そりゃ5ってきめられた子はヨロコブ、チョーシに乗る。
美術系の学校にいって画家になったり、デザイナーになったり、美術の教師になったりする。そしてまた54321をつける。
ぼくはずーっと5でした。図工と美術の成績。
・・・でも・・・・
ここが重要なんですが・・・・
ぼくが小中学校で『5をもらってた絵』を
いまのぼくが評価するとしたら・・・ほとんどが・・・
『5をつけたくない絵』なんですわ。
でもつけるしかないかも・・・いまの美術教育の現場としては。「いやったらしく『ウマイ』絵」なんですねー
テクニックで大人を感心させる絵です。
でも中学までの9年間、毎学期、3×9=27回 3や2や1をつけられた子は美術的才能がないってことでしょうか?
裸の大将 山下清の絵を見よ!・・・です。
棟方志功でもゴッホでもいーです。
いーっぱい大芸術家がいますよー、
学校では1だった大画家/大芸術家たちがー。
かれらは失わなかった。「表現したいとゆー欲求」=「絵を描きたい気持ち」を。1をつけられても自分のその気持ちをダイジにして・・・信じた。それで『食えるかどーか』はまたべつの次元のハナシですけどね。
ぼくはフツーの大人が「この子は美術的な才能がある」と云う場合の内実の、9割の部分は(あとの1割はほんとに天があたえる才能ってものもある)、継続的でよく組上げられた訓練と金銭的自由(ここがツライ)があれば、大半の子どもを、そのレベルにすることができると思ってます。
その子たちが実際には絵を描くことのオモシロさとヨロコビ、いいかえれば興味を持続することができないのは・・・
まわりにいる大人がつまらないポイントで「評価してしまう」からです。たいせつなのは描きたいとゆー『欲求』の方なんで『技術の優劣』ではない。
3や2や1をつけられてるかもしれない、
フツーのこどもと大人の、その『欲求』をひきだし手助けすること・・・
・・・これも ぼくの いのり
次回もすこし絵画/芸術論を書いて
『いのりのかたち』を〆ますね。
いのりのかたち2展示編その7につづく
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