薩摩焼、沈寿官窯の皆々様にはたくさんにお買い上げいただき、
ありがたくうれしく存じ上げ候。
当代(14代)の沈寿官さん、先代(御父君)も会場に招かれておられたようですね。
広州会場陶磁館の最終室は『韓国陶磁器の末裔たち』と銘うたれ、秀吉侵略で日本の
陶磁器技術を革新創始した高取・薩摩・萩ほか日本で活躍されてきた伝統の血脈が紹
介されていました。
当代が京都の訓練校に来てらしたころは、四条河原町の安酒場『地球屋』でいっしょ
になりました。萩の坂高麗左ェ門(当代)さんもよくいっしょでした・・・。
思えば14代、15代と陶家の血脈を守りつづけて来られたんですよね・・・、
豊かな時代にめぐりあわせて、たまたま陶芸の世界に入って来たぼくなんかには
はかりしれん御努力と革新と知恵があっての・・・500年。
17年前1ケ月の韓国への旅を終えて京都に帰った時、『地球屋』でお会いした
当代沈寿官さんに利川で柳海剛先生のところをたずねたら次男さんにバイクの後ろに
乗っけてもらって案内していただいたと報告したら、こうおっしゃっていました
「ああ、それは勝烈さんだ。ぼくが高校生の夏、沈寿官窯に長く滞在されてた。
ある時、いっしょに海に行ったんだよね。そこは白砂青松できれいな場所なんだけ
ど勝烈さんがこう云ったのをとてもよく覚えてる・・・」
『ああ日本の海はいい・・・平和な海だから・・・韓国の海岸線には必ず兵士の姿が
あって必ずトーチカがあるんだよ・・・平和がいちばん尊いんだよ』
「勝烈さんはきっと20代後半やったかな、ぼくはそのころ若過ぎてそのことの意味
がよく分からなかった・・・」