そのときのリーフレットは韓国で印刷されたもので韓・日両語で書かれてました。
すると翌日、通訳ブースの方が2人こられてそこに書かれている「褻の日」「晴れの
日」とは何かとお訪ねになりました。柳田民俗学をカジったことあるんで、
「ケとハレ」と表記するのが普通ですのでこの漢字は初見、「晴れ」に送り仮名は打
たないと御返事しました。「褻」。日本国内ではもう使わない、こんな旧い活字がか
えって韓国には残ってるんだなぁと思いました(iMacにあったのもオドロキ)。
それで「ケとハレ」について、つい50年前までおおかたの日本人は貧しい農民で
あったこと、ムラの共同体のオキテの中で生きる日常(ケ)と、農耕儀礼・祭礼・
婚礼・葬礼・習俗としてアニミズムと結びついた季節行事などの非日常(ハレ)の
儀礼と概念について話し、非日常があるサイクルで置かれることで日常が祝福され
再生されるんだと解説しました。
餅やうどんや酒など加工に多大な時間を要する飲食物はハレの日にのみ許された飲食
物であったことや、それを日常(ケの日:労働の日々)に食するものは「お祭り野郎」
として、共同体の労働秩序を乱すものとして村八分になったことなどを話しました。
いまや毎日ビールを飲みうどんを食べる現代の日本人も韓国人も全員「お祭り野郎」
であるといったら、ふたりとも苦笑してました。
もちろん着物ショーで紹介された絹でできた着物などは特権階級の労働しない娘や妻
のものであったし、大多数の人は木綿の野良着を着てタンボやハタケにいたこと。
それらの野良着にある『健康な美』に最初に気づいた日本人が柳宗悦であり「民芸運
動」を組織し「民芸という美の基準」の流布につとめたこと。そのことには「韓国人
になりたかった日本人:ソウルの浅川巧」が柳宗悦の李朝陶磁の美への開眼に水先案
内人の役割を果たしたこと、日本人の韓国陶磁器好きの水脈は500年前の茶陶:利
休の流れと、80年前の柳の民芸運動の流れの2つにその理由を認めることができる
ことなどをお話しました。
「褻の日」の意味は完全に伝わったようでとても喜んでくださいました。
ひと方は30代半ばまで北九州に在日韓国人としておられた方ですが、かれの生徒で
ある20代前半のパク君がかなりのスピードでしゃべるぼくの「講議」を完全に理解
されてるんで驚きました。
ソウルでは無く地方都市利川の大学生、学院(ハクイン:専門学校)で1年ほど学ん
でるという彼の日本語修得能力の高さはオドロキです。
新聞報道などで伝わる「政治レベルでの建て前としての『反日』と、大衆レベルでの、
学んだ者が勝組という『日本語学習熱』」のひとつの証左に思えました。
ひるがえって日本人総体は韓国の人たちの『学び取り・利を得・より良く生きようと
するエネルギー』、これに対峙するになにを持っているのかなぁ、ここ10年なにか
やってきたかなぁ・・・と思いました。
昨年かな?日本人がもっとも多く行く外国がハワイを抜いて韓国になりましたね。
『旅行』という消費行動を迎えるがわの人たちの『準備』になにかを感じて旅を消費
してるかなぁ。感じないほど鈍磨しちゃってる気がするんやけど、それは日本という
国が一定の豊かさを得てしまって、もうゆっくりと年老いて行く『オジイサンの国』
になってしまったということなんかなぁ・・などと考えました。
|