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窯ぐれ往来韓国編
  ’99 釜山・金海・泗州
  ’00 慶州・聞慶・ソウル
  ’01 ソウルリサーチ
  ’01 利川エキスポ
      ○その1 出発
      ○その2 会場風景
      ○その3 日本館
      ○その4 地域商品館
      ○その5 ガラス作家 朴鐘海(パクジョンヘ)のこと
      ○その6 パレードが来た!
      ○その7 温泉(オンチョン)
      ○その8 金淑希(キムスヒ)のこと
      ○その9 帰路 一本の道

イチョンへの道は遠かった

○その5 ガラス作家 朴鐘海(パクジョンヘ)のこと

 

 

パクさんとは6月ソウルにリサーチに来てはじめてあった。
繋いでくれたのは金沢の人。ぼくの以前の韓国紀行文を読んでメールくれた。

金沢美大や市営ウダツ山工房、押ケ原工房には韓国からの留学生やそのOBが何人もい
て、パクさんもウダツ山→押ケ原→富山(県のガラス工房)と8年間を過ごし今年の
春(2001)に帰国した。

44歳独身。36歳まではパソコンの流通・販売の会社をソウルでやってて、時間
に追われる暮らしに終止符を打ち、1度しか無い人生、美術的な物をやりたくて吹き
ガラスを選んで日本で8年。

左は陶芸家 白下さん(陶芸ネーム)釜山からの運転をサポートしてくれた。
エキスポの農協食堂で 彼は釜山の西の泗川市で登り窯だけでやってる
パクさんのアパートに泊めてもらう。表は家具屋。裏の3階。
これが韓国のアバト(アパート韓国発音)だ!

チョンセといって大家に敷金を預ければ家賃はタダ。
出る時に全額返却される。

大家は資金運用して稼ぐ。
最近金利がすごく下がっていて問題が出てるそう。
44歳の男ヤモメとしてはキレイな方か。
パクさんの寝言は日本語と韓国語、でかい声で。
ソウルの都会っ子 パクさんが4月帰国して6月からここ広州(ソウルから40キロ
人口12万)に部屋を借りたのは・・・

韓国にはまだ「アートとしてのガラス」がない。
パクさんが第1世代になっていくはず。
帰国後、ある金持ちがパトロンとして出資するから、韓国のスタジオガラスムーブメ
ントを起こすべくパクさん指導で一定規模の集団生産のできる工房をこの地に準備し
よう、ということだったのだが・・・株価暴落、パトロンは降りた・・・。

いずこも同じ秋の暮れ。

つまるところ資本主義社会では「アート」はお金持ちの飾り。
功なり名を遂げると芸術がわかるフリがしたくなる。
分かったようなことを云う権威ある評論家のガイダンスと御墨つきに導かれて・・・

大衆は「アート」を学び、理解し、享受する余裕が無い。「工芸」はアートと大衆の
橋渡しをする場合もあるけれど、日本だけで通用する『美術工芸品』という美の基準
は文化装置としての茶陶の伝統と、高村光太郎が『根付けの国』で呪詛した「ちいさ
きものを愛玩する島国根性」に通底して、日本でだけ保証されてる、今のところ・・・

韓国がここ何年かで急速に経済発展し豊かになった帰結は、大衆社会の完成であり自
らを大衆と思いたく無い知的大衆の発生でもあり・・・その結果、芸術家になりたい
人間、サラリーマンになりたくない人間が増える。ぼくもパクさんも『豊かな国』の
鬼っ子です。男権社会では女性は『産む性』として別枠扱いなので,ときには、稼が
なければならない男より自由な表現者たりうる。が、ときには男権美術界で不等な取
り扱いを受けることも・・・

連日徹夜で「現代ガラスの展望とその歴史」という
論文執筆でオツカレのパクさん。どこかの大学に教職で入れれば・・・

「ナカネさんは、どうして、安く売るの」

「うーん、うちは茶陶でも花器でもなく日常食器でやってるでしょ、手作り手画きで
 ふだんに使って人の輪を結ぶ道具をつくりたいんや。だから買った土、電動ロクロ、
 灯油窯で焼いて工房生産方式でやると・・・陶芸は土代も燃料費も安いからそれで
 やっていけると・・・そう思ったンは『民芸』の考えに惹かれたからかなぁ、工芸
 は苦しみ多いこの世を共に渡る暮らしの仲間、っていうの・・・若い時にはやられ
 るでしょ。青臭い理想主義には。それで『工芸』でいいと決めたんや。美術工芸品
 の作家にはなれへんもんね・・・ひとそれぞれ人(ニン)てあるでしょ、人間とし
 ての持ち味というか・・・オレもともとナマイキやから・・・お茶人さんとかデパー
 トの美術部とかオツキアイようせんしね・・・コレってお金持ちに対するいわれな
 きヘンケンかなぁ。でも働いてた時に実際見てもいるしね、イロイロ・・・。
 それで『工芸』は多産である、あじきなき反復に美がやどる、廉価でなくてはなら
 ぬ・・・で独立4年目から工房体制で3人。今オレいれて5人、毎月給料60万づ
 つ払ろてる・・・陶器まつりとか道端で売るのもヘーキ。工芸の本道はこっちやと
 思もてるもん・・・こんなこと云うのは不遜、ゴーガン、負け惜しみって知ってる
 けど・・・『座敷犬の栄華より野良犬の自由を』・・・そうウソブクしか無いなぁ」

売れない芸術家・もの作りのお決まりのグチ・・・。(書いててナサケナイ)
売れちゃうとトタンにこんな暗いハナシしなくなるんやけどね。
健康とクルマと資産運用と子供の学校と趣味ではじめたボンサイのハナシとかになる
んやろねぇ・・・

「工芸でいいじゃない」パクさんはいった。
「でもボクは安売りはしないよ」ウン、そうであるべきや!

「パクさん有名になってもぼくのコト忘れんといてね」

「ナカネさん、今度の事でぼくはどんなに小さくても自前でショップとギャラリーを
 作らなきゃと思った・・・ソウルで。それで明日は友だちが知らせてくれた物件を
 いくつか見に行くから帰れないと思う。仁寺洞(インサドン:ギャラリーが多いオ
 サレなエリア)のちかくで韓式家屋に手を入れて・・・景福宮(キョンボックン:
 李朝時代の王宮)にも近いところで・・・お金の面では観光でソウルに来る人に吹
 きガラスをやってもらえる体験工房を併設して、ぼくが教えて次の日には持って帰
 れるようにして・・・この計画うまく行くと思わない?」

「うんうん、行けそう行けそう!やっぱり景福宮あたりでいい画像とってソウルナビ
 とかで紹介してもらって、日本でも体験工房は人気あるし・・・パクさんならまが
 いモンじゃなくちゃんとした物つくらせてあげれるんやし、『冬のソウル 澄みきっ
 た空気感を地上でたったひとつのガラスの器にこめて・・・』とかコピーつけてぇ、
 ソウルにグルメとエステにくる日本の女の子にやってもらえればぁ・・・大手の旅
 行社だって飛びつく飛びつく!」

「ナカネさんもこっち来てやらない?」

「エーッ!うーん。確かにっ、オモシロソー・・・ではあるんやけどぉ。うーん永源
 寺町産地化計画も動き始めて来たトコやし。いまは無理。でもパクさん、いっしょ
 にやれることはいろいろありそう!」

「ソウルが日韓だけじゃなくて、いろんな分野のアーティスト、工芸家の集まるハブ
 になれたらと思うから・・・」

こんなふうにパクさんがいる夜には『絵に書いた餅』はどんどんとふくらんでいくの
でした。しょっちゅうソウルに行って(渋滞で二時間はかかる)るんでぼく一人の日
が多かったんですが、部屋に帰ってる日にはいっしょに夜遊びにも行きました・・・

ソウルとくらべると田舎でも
人口6700人の永源寺町から見たら大都会。

この店でサムギョプサル(豚三枚肉の焼肉)を
焼酎(ソジュ)がすすむ。
一緒にいるのは日本から来たオトモダチ。
別の日にはサンナクチ(生タコ)舌に絡み付いてエロティック。
ナクチチョンゴル(タコの鍋)メプタ!(辛い!)が美味い!
女性舞踊家キムさんとパク・ぼく・本5冊だしてる友だち(みんな44歳)

と、その彼女、ビクトリア(23歳!:ロシア人)、で朝3時まで・・・

ノレバン(歌房:カラオケボックス)で歌いまくる。

ロシア美少女を彼女にしてる文筆家ジェイソンキム(アヤシーでしょう!プンプン、
ヒガミ入ってます)は長渕剛の『とんぼ』『RUN RUN RUN』 とか憎らしいほど上手く
てなんか腹立ちましたね。やたら日本にもいってるみたいやし。

ジェイソンとビクトリアはこのあと朝4時に東大門市場でイタリア製のアクセサリー
制作用機器を買い付けに行くとかで3時半頃でお開きに。その取り引き見に行きたかっ
たぁー。

ロシアのビザ発給(対韓国)が弛んだのでソウルにはロシア人がいっぱい。
モデルとかしながら西側の先進技術をとりこんで国に帰り、商機を掴もうとしてるら
しい。ユジノサハリンスクから10ヶ月前にソウルに来たビクトリアはそのマシーン
を手に入れたら二ヶ月後帰国してハバロフスクでアクセサリーを生産すると云ってま
した。

ユジノサハリンスクは日露戦争でぶんどった樺太に、日本名だと豊原。
日帝時代の強制連行で豊原に居住することになった朝鮮族多数。
ユジノサハリンスクもハバロフスクもソウルからは直線距離1400キロ。
永源寺町までは直線距離800キロ。はるかに遠いところからイタリア製の機械を
買いにソウルまで・・・

日本へのビザはとてもムツカシーと言ってました。
「最初にあった日本人だから名刺もらッときなさい」とジェイソン。
おいでおいでビクトリア。彼女のハバロフスクの住所もらったけどいつか行くことあ
るかなぁ・・・・

ノレバンから外に出たらまだみんなオープンエアで大勢で酒呑んでるんで驚いた。
しかもぼくらと同年輩のおぢ・おばが多い。ここはソウルの繁華街ミョンドンでも
渋谷でも新宿でもない12万都市の繁華街のハズレなのにぃー。

パクさんにそう云うと「土曜だから寝るのもったいないじゃないですか」と。
どうやら日本人よりも韓国のおぢ・おばたちは生きていることを味わい尽くすことに
貪欲であるらしい・・・と思った夜。9/8が明けて9/9日曜の朝。

 




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