|    ここにいた大学院生が進禮の甫泉の窯まで一緒にいってくれるという。同道して地下鉄、バスと乗り継いで田舎のバス停でおりると白下、甫泉がクルマで迎
 えに来てくれた。一年ぶりの再会をよろこび会いながら拙い韓国語・英語・日本語、
 チャンポンでの会話も楽しいもの。白下の通訳でなんとか意思疎通。次ぎ来る時には
 もっと話せるようになりたいものです。ぼくを連れて来てくれた大学院生は建築の仕
 事しつつ会社命令で院にいってるようだが相当のやきもの好き。ずっと彼らは陶芸談
 義をしてるんです。そこそこの時間になると白下が
  「私の先生のところ、一緒、行きましょ、遠くない」  身をゆだねる。大学院生も一緒。白下のトラックで結構走って通度寺(去年行ったきれいな古いお寺)の門前を抜け山手にかかる。山の頂きには巨石おおく独特の景観。
 登り窯のある蔦のからまった工房に着き見学。その後展示室へ。
   ここは申正煕先生の工房でした。ぼくより一つ下の息子さんと話す。
  「福岡の岩田屋での親子展が終わったばかりでここには見るべき品がない」「最近は日本も景気悪いですから、200万円くらいでハズカシーですよ。」
   などとやたら気さくに達者な日本語で話して下さる。  「前は松屋とか三越でやれば2000万くらいでしたけど、飲むのに使ってしまって・・・中根さんは茶陶やらないんですか?・・・」
   持っていった写真をお見せしてると穴窯焼成の信楽大壷が目に止まったようで  「ここに穴窯を作りませんか。一緒に焼いてデパートでやりましょう、紹介しますよ」   デパートの美術画廊うんぬんより陶器祭で食器売ってるのが性ににあってると御説明する。夕闇迫って来てみんなで焼肉を食べに行くことに。ぼく、白下、申さん、大
 学院生の4人で。行ったトコはいいカンジの裏町の豚肉のプルコギの専門店。大衆酒
 場風の座敷きでくつろげる。焼酎(ソジュ)にあうと言うことで2本開ける。申さん
 とぼくで。白下、大学院生は下戸。なんかしらんけどおもしろくていろいろ話ししま
 した。申さんは長男で娘3人。頑張らなくてはならないそう男の子が生まれるまで。
 うちは男3人だと言うとうらやましがってました。でも兄弟は4男まで全員陶芸家だ
 そうです。この辺りの3万坪は申さんトコの土地で、ギャラリーを6つ経営していて
 月200万円の売り上げ。聞いてもいないのに教えてくれる。全然自慢する風じゃな
 いんで嫌みじゃ無い。なんかお金の話しても淡々としてるカンジ。
   「親のおかげでこうして焼物をやいてますが・・・わたしは服もクルマもいいです、土、土、土ですよ。いい土にお金かけますよ・・・それで世界の陶磁器について
 本を書くこと。陶芸の学校をここに建てるのが夢」
  申さんのお父さん、申正煕さんは戦中日本軍にいるときも朝鮮各地で古窯の陶片を収集し背嚢は陶片でいっぱいだったそう。朝鮮戦争後の早い時期から井戸茶碗などの茶
 碗の復元につとめ最初3人の仲間でとりくみ成功。その後はそれぞれに窯を持つ。
 表千家の箱書きが付くお家です。
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