第5日 10/1
聞慶の窯場めぐり 聞慶窯 朝鮮窯 腦岩陶窯
そしてソウルへ移動 ギャラリー『陶遊』
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聞慶の朝は霧 |
7時半ころタクシーをチャーターする。
人間国宝 千 漢鳳(チョナンボ)先生の工房へノーアポイントメントで向かう。
韓国では人間文化財というらしい。窯の名前は聞慶窯。
ぼくの友だちの Nちャんは永源寺町の隣町、日野町でやってる女流陶芸家で
20代後半。独立して3年やけど、そのうちの2ケ月を釜山の大学の陶芸科で、
そして3週間を千 漢鳳先生の工房で勉強してる。
彼女から千先生の連絡先などは教えてもろてた。
タクシーは町を出て川沿いに農村風景のなかを飛ばす。
田舎の風景を特徴づけてるのは松の多い山と岩。
これで岩がなければ日本の風景とさしては変わらない。
かなり切り立った岩山のふもとの集落に入り千先生の洋館建てのお家に着く。
まだ8時過ぎ、早すぎるかな・・・ノーアポ失礼ではと思い始めるが、いらっしゃら
なければ見学だけでも、またお忙しければ早々に・・・
右手の工房でオンドルに薪をくべてる若いお弟子さんに案内を乞うと
新築の洋館の玄関に千先生が、ランニングと短パン姿で。
ぼくの拙い韓国語でのあいさつをさえぎって、完璧な日本語で
「朝ごはんまだだったらいっしょに食べましょう」
リビングに通されると今しも若い女弟子の方2人が
座卓にさまざまな料理を載せおわり、座卓ごと持ち上げてしかるべき場所に運んで
来られて朝御飯がはじまった。さっきの青年も加わり5人で膳をかこむ。
『膳の足がしなるほどのもてなし』という表現があるとうり朝御飯といっても
品数が多い。キムチもオカズも何種類も。それらをいただきながらお話しました。
「N さんの友だちですか。彼女は元気にしていますか?」
「Nさんが来た時はまだ前の仕事場でしたが、付近に温泉が発見されて、
郡のほうが開発したいということでこっちに移って来ました。
このそばにはいい土もありますしね」
「わたしは朝2時には起きて仕事を始めます。水挽きを5時間くらい。
そして3〜4時間、朝御飯を食べながら休憩します。
仕事場の床をオンドルにしてあるので床にじかに置いておくと
休憩が終われば、もう削りが出来ます。」
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朝 水挽きした物はその日のうちに削りして成形を終わらせる。
合理的なやり方だと思った。その他の時間は諸方への連絡や訪問者への応対にあてる。
時に飛び込んでくるぼくみたいな人間にもちゃんと応対してくださる・・・
それにしても働き者、それにしても焼物を作ることへの情熱の強さ・・・
「お腹一杯食べましたか?2階の展示室に行きましょう。
コーヒー飲みますか?」
弱輩のわたくしに、あくまでも気を使ってくださる・・・
2階は広い展示室。千先生は井戸茶碗を中心に茶陶を焼いておられる。
もとより質は非常にたかい。土を吟味し試験をくり返し、薪窯で焼成した李朝茶碗や
水指、建水などなど茶道で用いられる茶道具中心。
金大中大統領から人間文化財の指定書をうける際の写真。各国要人と対面した時の写
真などが展示室の壁をかざる。
千先生は20才前まで東京で暮らされたそうで
韓国にもどり申正煕先生(第一日に通度寺そばにお訪ねした)と、もう一方とともに
李朝の茶碗の復元に取り組まれたそう。その辺りのことを書いた岩波新書を見せてく
ださいました。かなり前に出版された日本の報道カメラマンの本で、戦後すぐの韓国
での取材の折の見聞、エピソードとして1章がさかれていました。
「貧しさの中、熱意をもって伝統の焼物を再興しようとする青年陶工たち3人・・・」
「わたしがこの報道を日本でしたところ、すぐに日本の道具商や茶人たちが彼らの茶
碗を買い付けに向かったようで、幾年か後、再度その地を訪れた時には、
もう3人はたもとを分かち、それぞれで焼きはじめたと知らされた。
経済的な成功は彼ら3人の関係に少なからぬ影響を与えたようだった・・・」
千先生も表千家・裏千家御家元とは旧知の御様子で箱書きをしていただいてるとおっ
しゃってましたし、このあとの予定としてこうおっしゃってました。
「青森で展示会がありますから、札幌に飛んで、そのあと1週間は青森で地元の
お茶の先生方にごあいさつにまわります」
ぼくが最初に勤めた窯元もお茶人さん方とのおつきあいを始められた頃で、
若社長のカバン持ちとしてお茶会につれていっていただき勉強させてもらいましたが、
千先生や申先生のお話を聞くまで、そんなに前から韓国の陶芸家と日本の茶陶との強
い結びつきがあることを知りませんでした。
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Nちゃんが勉強に来た時は、前の窯ですごく小さかったそう。
3週間の滞在中に5度の本焼があり、焼成8時間だったとか。
今の窯はおおきいです。
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千 漢鳳(チョナンボ)先生
韓国語ではチョンのNとハンボのHがリエゾンします。
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千先生にぼくがエキスポへの出展を考えてる旨お伝えすると
「エキスポのことは聞いています、協力しようと思ってます。
あなたもぜひ出しなさい」
さっきお膳の用意をしてくださった女弟子の一人は日本人で10日前にここに来たと
ころだそう!ほんとはもっと先生のお話も聞きたかったし、お弟子さんたちともお話
したかったんですが、削りの仕事に入られると云う事で聞慶窯をあとにしました。
タクシーは川沿いを10分ほど走ってNちゃんが教えてくれてたもうひとつの窯。
朝鮮窯(チョソンヨ)に着いた。ノーアポだけど若い8代目(30代前半か)がここ
ろよく迎えてくれ韓国式のお茶の礼式でもてなしてくれた。工房ではもう一人、お弟
子さんらしき男性が面取りをしていた。
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祖父から受け継いだコテとヘラ
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急須の取っ手には突っかい棒
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ケズリは反時計まわり
☆ロクロと削りの関係について 韓国での蹴りロクロは2種類ある
オンギ(キムチかめなどの生活雑器)や新羅土器(慶州の新羅窯で焼いていたタイ
プのもの)は地下式の蹴りロクロで土間を掘り込んだところに設置する背の低い
ロクロ。ロクロの天板は床面から10センチ。水挽きもケズリも反時計まわり。
一方、茶碗などは腰掛け式の蹴りロクロを使い天板の高さは床から60センチ内外。
こちらの場合は水挽きの時は時計まわりで成形し、ケズリは反時計まわり。
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この工房も新しくなったところで、すぐそばに旧い仕事場と窯があるとのこと、
見学する。対岸の斜面を少し上がったところ。
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いまも沈澱層があり新しい工房へ運ぶ。
クルマの無い時代、土は重たくて運べないから土のあるところに仕事場と窯を作るしか無かった。
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暗く湿気多い
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これが昔からの陶工の『現場』 |
この工房の外にあった窯はとても旧く郡指定の史跡らしい
なぜか焼成室がジグザグに連結されてる。こんなん始めて見たぁ。
ぼくの会話能力ではその理由は聞けなかった。画像も良いのが撮れなかった。
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腦岩陶窯の登り窯 |
腦岩陶窯(ノガントヨ)はきつい斜面の集落の中にあり、
前方から来た稲刈り機とタクシーが離合できるかハラハラするほど狭い道でした。
工房の腰掛け式蹴りロクロを補修しに大工さんが来てるところで仕事は見れませんで
した。それでもお茶を入れていただき展示会の図録なども見せていただいて、
登り窯を見ました。こちらはジグザグしてませんでした。
バスターミナルにもどる。
タクシーチャーター料金1万円。じつは値段交渉したわけではなく、
乗ったときにはNちゃんから聞いた住所(漢字表記)を示して千先生の聞慶窯まで行っ
てもらったんやけど、先生がぼくの希望行動予定を聞いて運転手さんに掛け合って下
さったんです。その際「1万円だけあげて下さい」ということで・・・
ちょっと痛かったんですけど・・・これも会話能力の欠如がなせる技。
よーし!ソウルに移動するぞーつ!
韓国総人口4600万人のうち1000万人が集中する首都ソウル。
気合いいれて17年ぶりに・・・
バスターミナルの売店で昼食のパン・卵・牛乳260円を買って・・・
11:15発のソウル行きに乗る。運賃1030円
14:00ソウル江辺(カンビョン)バスターミナルに着く
地下鉄江辺駅から市庁(シチャン)駅へ。
地下から上がってロッテホテルをめざす。宿泊するんではない。
ロッテは超級ホテル、シングル1泊30000円はする。
地下のモールのギャラリー『陶遊』を訪ねるためだ。
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『陶遊』外観
広すぎるほどの地下モールには
韓国陶芸界の重鎮クラスの作家の個人ギャラリーや骨董店などもある。
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12万円
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1客6千円
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ここ『陶遊』は鄭 好蓮(チョンホリョン)さんがやってらっしゃるギャラリーで
日本の民芸運動との縁が深い。ここのお世話で韓国の個人作家を訪問した日本人も多
い。ぼくのサイトもリンクしてくださってます。エキスポに出展するとしたら、どん
なことを心掛けたら良いか・・・ともかく鄭女史とお話ししてみたかった・・・
ざんねーん!日本に出張中!
あーあ。『来られる時はぜひお訪ねください』とメールいただいてたのに・・・
ぼくの今回の旅は直前までわからんノーアポ旅なもんで大きなミスになってしまいま
した。
でも、るすばん役の女性と1時間あまりお話して、非常に参考になりました。
ぼくのふところに見あった中級ホテルを探して予約入れる電話をこの方がやってくだ
さったんで、とても助かりました。
今夜の宿は、歩いて行ける明洞(ミョンドン)のサボイホテルに決定。
サボイ(s¥7800)にチェックインして街に出た。
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まずは晩飯。
全州中央会館の石焼きピピンバとビール¥1050 |
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この店は日本人観光客御用達
二人はエステの予約入れて時間待ちしてるトコ
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暮れかかった明洞を歩いてると・・・
前に来た時の事を思い出して、なんとも言えん感慨がわいてきた・・
17年前の春。
京都の窯元を辞めて、もう1度焼物に出会い直そうと来た韓国。
若かったし時間もありあまってた・・・
ユースで出会う日本人同士の情報交換で『フシギ外国 韓国』を一ケ月かけて旅した。
関川夏男の『ソウルの練習問題』がその時のぼくらの教科書やった。
その旅のおわりの10日ほどをソウルで過ごした。
ユースに泊まって博物館・美術館・景徳宮・映画・東大門市場・南大門市場、
お決まりの観光コースをぶらぶらと・・・おもしろかったし、リラックスしてた。
オリンピックの前で・・・27才やった俺。
エキスポ出展のリサーチのために来たソウル。
43才になってる俺、緊張してる・・・
ただの若造だった俺。
なにかになれるかもしれないが、なににもなれないかもしれん・・・
その不安とひきかえの野方図な自由の感覚。
焼物屋になり、父になり、中年になった俺。
なにを得て、なにを失ったか・・・
なりたいと思ってたのはこんな自分だったか・・・
いまの俺にあの時のような『虎の眼』はあるか・・・(『ロッキー3』より)
あるわけない、もともとそんなモンなかったんや。
明日はオサレなギャラリーがあつまってる仁寺洞(インサドン)のリサーチ!
つづくぅー
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