永源寺町の奥 八風キャンプ場から 八風谷 を登ること2時間 ついに着いた 八風峠 標高は 900mかな 風化した花崗岩の白く明るい 峠 東に展望 切れ落ちて 三重県側の谷も 八風谷である すぐそこに三重県大安町 畑や田んぼ 家々工場 菰野町から四日市 湾岸にコンビナート 伊勢湾の青 きっと あれはセントレア=中部国際空港 減反で ずいぶん麦畑が多いんやなぁ・・・ 西の展望は利かない 稜線の木々の向こう 山が深い 滋賀県側はユルユルと上って来てて 人の生活圏は遠い その西から 風が吹く 5〜7mくらいの 強い風が常に吹く これがとても涼しい 稜線の潅木 東に倒れて伸びてる 八風峠 風の通り道 明るく開け 作った庭のよう 明治40年まではここに 八風神社 があったそーである 伊勢津彦命を祭神とした 八風神社 きっと ちいさな祠のような 神社 三重県側 直近の集落は 田光:たびか そこににある田比鹿神社に 合祀になった
八風大明神 三重県に向いて立ってる石碑 滋賀県に背を向けて立ってる この大明神は三重の人の 神さん
円空仏? 素朴な木像・・・ 調べてみよう・・・・
石碑の裏に 彫られていた文
大正四年十一月御大典佳晨建之 田光軍人会 大正4年は1915年 94年前か・・・ 第一次世界大戦のさなか 田光:たびかの軍人会が 大正天皇の即位の礼 を祝ってこの石碑を建てた と・・・ オーソンウェルズ ビリーホリディ イングリッドバーグマン フランクシナトラ が生まれた年 甲子園の高校野球が始まった年・・・ あれっ? 木像の前に お賽銭があがってるけど 磁器の皿やん そばにも5寸くらいの皿が数枚 重なってるやん きっと 祀りの儀式に使うから ここに置いてあるんやろけど・・・
陶器はアカンけど 磁器はエエんかなぁ?????? ↓ 昔はこの峠を 陶器を持って通ると大嵐になると信じられ 近江の杠葉尾:ゆずりお村 黄和田:きわだ村 伊勢側の 田光村 切畑村の四カ村が番小屋を設けて 八風峠を往来する商人旅人の荷物を改めました 幕府の信楽代官所の許可を受け 行っていました ↑4箇所で荷物改め 番小屋 信楽代官所の許可・・・ ふーむ なんでそこまでしたんやろー・・・ ぼくの推論は2つある 推論1 瀬戸で焼かれた陶器を流通させたくない から 陶器を八風峠に持ち込んだら嵐が起こる と迷信をひろめた 磁器はまだなかった あるいは 流通してなかったころ 陶器は せともん 愛知県の瀬戸焼 がシェアを取った 四日市には万古焼 信楽には信楽焼 があって 競争力のある瀬戸焼の流通を なんとか阻止したかった 推論2 陶器=やきもん を嫌う勢力があって 陶器を八風峠に持ち込んだら嵐が起こる と迷信をひろめた 古い勢力とは 永源寺町の木地師 である 刳り物=木の碗や盆など 木工ロクロの技術者集団 永源寺町は 全国の山間部に散らばった 木地師の発祥の地 とされてる 北陸の輪島塗や山中塗 東北の鳴子コケシ・・・ ボディは木地ロクロ 回転させた木に刃物をあてて削る技術 その技術は ぼくが住んでる 永源寺町の山奥 君ヶ畑で 生まれたとされてる←これはロマンのある ある種の伝説 永源寺町の木地師たちは ニューカマーで 市場を奪いかねない 新商品=やきもん=陶器の流通を嫌ったんかもしれん・・・ しかし どっちにしろ 陶器は重いんで 大量に担いで 峠道を越えて 流通させたはずはないかなぁ・・・ うーん おいおい調べみよう・・・
四六時中 どこにいてても 全身全霊 で やきもん屋 やきもん を通して出会う世界 それが ぼくの僥倖=得がたい幸せ♪
はいー八風峠に着いて まだ 10じはん 南の 釈迦ヶ岳への往復 に 出発しますー
ともかく 見晴らしがイイ
ともかく 風が気持ちイイ
道の雰囲気 がイイ
このあたりの鈴鹿の山 ほとんど登ったカミさんも これほど イイカンジの道が続くのは ここだけ と♪ 平坦 よく踏まれ 背の低い木々が いい陰をくれる 風は つねに西から強く吹き 身体は涼しい ヤマツツジ の目の覚めるような紅:あか 新緑のミドリのなかに 配されている 吹き続けてる風 年中強いようす 木々の背丈は 2mほど 強風のゆえ まるで 腕っこきの庭師たちが 競って剪定したよーな 樹形 盆栽みたいな木々 美しいすぎるほどの 登山道 日本庭園のような景色が 1時間半続く
コトリ いい声で 囀ってる
ヤシオツツジ の花を 踏みしめていく道 咲いてるころ また来よう きっと5月末・・・ ぜんぜん疲れず チョー気持ちいいー 1時間半で 釈迦ケ岳三角点ピークに 到着12じ 標高は1092m
ココまで来たら 登山者たち5組 20人ほど 3人男 あとは オバサマたち みんな 三重県側の 朝明:あさけキャンプ場から 滋賀県側の 八風谷からとゆーと ヘー! と言われる 三角点のあるピークは北側にあるが ちょい手狭で 西の視界が利かない さらに5分ほど南に進むとこっちが最高点 広く開放的 滋賀県側の視界があるんでコッチでメシ♪ おにぎり3個 サンマの蒲焼の缶詰 ちくわ2人ではんぶんこ 今日はゆで卵はなし バーナーで湯ぅ沸かして 熱いミソ汁 メシのあと コーヒーとクッキー 若い男の人一人 聞くと 彦根から でも滋賀県側は 登りが ユルイ んで あえてキツイ朝明から 一般登山道ではなく バリエーションルート の岩場で遊んで来たとのこと ふーん ここ鈴鹿でも いろんなタノシミ方が・・・ はい 八風峠まで引き返す 1時間半 ええ 八風谷へは下りずに 帰りは稜線を帰る はい 10分で 三池岳 972m はい 北への稜線を 石槫峠:いしぐれとうげ へ ええ 石槫峠 のNTTドコモのアンテナ基地 を目指す ええ ケッコウ起伏があって ちょいシンドい でも 後ろ 釈迦ヶ岳 前に 竜ヶ岳 うん 左に 深い山々 右は 海まで広々と
オジンのくせに なにカッコつけてんねー
気に入った♪ 鈴鹿の山の良さに 目覚めた♪ カミさんに 先に登り尽されたが ぼくも あとに続こう♪ 八風峠ー釈迦ヶ岳 より ちょいヤブのある 稜線 それでも 16年前より 格段に歩きやすくなってる
16年か・・・ アッちゅー間やった・・・
オンブした 長男の足首 熊笹と枝が打つ 肩車された 長男の顔面 木々枝先が打つ エーンエーンと泣く 長男レン なだめすかしつつ・・・ 2月25日が予定日 カミさんは9ヶ月の身重・・・ ここらまでは 来たんかいなー ヤブがひどーて 往生したなー レンをオンブして肩くまして よーやったなー
石槫峠 4じ15ふん着 国道421 下ること1時間半←けっこうある 車道の脇の 朴:ほうの木 がいっぱいある その花の芳香 甘い香りを 楽しみつつ下った
クルマに着いたんは 5じ50ふん
この日 行動9時間30分 実働8時間 きっと 歩行距離は20キロほどやった♪ |