鈴鹿の山々は 県境の分水嶺である 滋賀と三重 近江と伊勢 を分ける山々 そこにいくつもの峠があり その一つ・・・
2009年6月1日 16年の悲願やっと 八風峠 この峠には こんな言い伝えと 歴史がある 三重県=伊勢側 菰野町:こものちょう広報の引用
昔はこの峠を 陶器を持って通る と大嵐になると信じられ 峠の向うの 近江の杠葉尾:ゆずりお村 黄和田:きわだ村 こちら伊勢側の 田光村 切畑村の四カ村が番小屋を設けて 八風峠を往来する商人旅人の 荷物を改めました これは 幕府の信楽代官所の許可を受け 行っていました ↑ここまでくわしいイキサツは 今回調べて知った 4箇所で荷物改め 番小屋 信楽代官所の許可・・・ ふーむ なんでそこまでしたんやろー・・・ うーん もっと調べてやろー 24年前に 隣の蒲生町で やりはじめた 7年ほどして永源寺町に移ることになった 永源寺町の町史を読んだら こー書いてあった
八風峠にやきもんを持ち込むと 近江に暴風が吹き荒れる と・・・・ うちの屋号 八風窯:はっぷうよう 永源寺町への移転 八風街道のそば 末広がりの 八 ロマン感じる 風 八風窯:はっぷうよう を名乗るやきもん屋 磁器ではなく 陶器を焼く やきもん屋 これは・・・ 早々に・・・ 八風大明神 に手を合わして なんとかナシをつけて 先々の安寧を祈願せねば・・・と
1993年1月1日 ぼく36才の誕生日 カミさん29才 長男3才
永源寺町に引っ越して来たのが 12月21日 新年1月1日 昼 クルマで 石槫峠:いしぐれとうげ へ 滋賀県側は 山がとても深い クルマの道路も ユルユルと登っていくんで うちから石槫峠までは 50分もかかる 三重県側は どーんと急峻に落ち込んでて 人の生活圏 田んぼ 畑 町々村々 四日市のコンビナート 青い伊勢湾 この日 その向こうに 富士山が見えてました 出発したんは 午後1じ ここから尾根伝いに 南へ1時間半 このルートでの八風峠 を目指した 4人 ぼくカミさんレン 一緒にやってもろてたMさん・・・ 当時はヤブがひどく 熊笹が腰の高さを越えてあり・・・ 3才2ヶ月の幼児の ちょうど顔の高さ←自力歩行不能・・・ なので長男をオンブ あるいは肩車しての尾根渡り・・・ しかしながら・・・ オンブした 長男の足首を ピシピシと 熊笹と枝が打つ 肩車された 長男の顔面を ピシピシと 木々枝先が打つ エーんエーンと泣く 3才の長男レン なだめすかしつつ 2月25日が予定日 カミさんは9ヶ月の身重やったんですわ 実際は早産 次男は 2月4日生まれたんですけども・・・ で・・・3時半まで進んでも 八風峠には着かない で・・・登山道は荒れはじめる 崩落した箇所に出くわす 冬至過ぎてまだ10日 陽はすぐに落ちる 懐中電灯は持ってない 八風峠 八風大明神 へのご挨拶 断念 撤退転進 引き返す 真っ暗になってから クルマに戻った これが 第一次撤退の記録 あした 第二次撤退の記録 第二次は ぼく一人でしたが 遭難すれすれ でした♪ それにしても・・・・ ぼくも カミさんも レンも
みんな 若い・・・
オジンになったなぁ・・・・
16年か・・・ アッ ちゅー間やった・・・ 時は 飛び去る
人は 老いる 生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸 生死は一大事 時は無常に迅速に過ぎる 人は目覚めて 無為に過ごしてはいけない 悲願八風峠 3 |