着いたところが泗川登窯(サチュントンヨ)これが工房名。
最初はなんか寺かと思いましたぁ。暗いし。韓国の昔の貴族階級は
両班(ヤンバン)ていうねんけど、その人らは書院として山荘を持って
文人として詩作したり琴をかなでたり、清談をしたりと大中華の文人趣味のマネを
してたわけですよ、こうゆうトコで。16年空家だったここを直した白下さんは
エライッ!
部屋に入ると細長い8畳間くらい。額がたくさん。
白下山房(ベグハサンバン)がこの建物の名前。
この部屋を見てとっさに思ったこと
「ちょっと前まで、
もしかしたらこれから復興があってさらに、
日本においても韓国においても『教養』とは漢籍にいかに通じているか、
大中華の写しがどれほどそれっぽくやれるか、なんかなぁー」
「アメリカ、イギリス、ヨーロッパそっちのコピーは若いモンにまかしといて。
けど現代陶芸もそっちのコピーやってるなぁ。
としたらホンマの日本のコアっていったい?
そんなもんもともとないんかな」とか思いました。
ともかくあれこれ陶芸の話をしてるうちに就寝時間。白下さんはクッションのいい布
団セットの方をぼくにゆずり、ペラペラセットを自分用に隣に床を作った。
顔を横にむけるとすぐそこに白下さんの顔。
「まっ、まさか53で独身って! まさかっあっちの・・! どこに家あるか
わからんし助けもとめるいうてもっ!・・・えーいそん時はそん時、それは
それで世界がひろがるわけやし・・・」
第3日につづく
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