沖縄にはいって4日目
最初の情報源となってくれたN・Kさんが穴窯を
もうすぐ造るとのこと、知念の工房をたずねました。
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南国のあたたかい雨がかなり強くふっていた。
その雨が午後の空気に甘い香りを溶かしこんでいた。
彼女の仕事場からは海が見える。
久高島がグレーの波頭ににかすんでいる。
濃密な緑にすべてがおおわれて斎場御獄の深い森につらなっている。
彼女は土を木型に押し込んでいる。
赤い土。
型からぬいた赤い土は直方体。
古新聞に取って並べられたたくさんの赤いトウフ。
日干しレンガを自分で作ってる。
スサ(切りワラ)を混ぜた赤土。
なま乾きになったら表面を叩きしめる。
天日で乾かす。
300丁ほどをもうすぐ作りはじめる穴窯の要所要所につかう。
そのための日干しレンガを自作している。
打たれた。
雨はあたたかく彼女の工房をつつみこんで
まだふっていた。
彼女の荒焼 with サーターアンダギー
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那覇市立壷屋焼物博物館の映像展示は必見、感涙にむせびました。
沖縄の復興が壷屋から始まった様子、正月行事のセーク(職工)たちの
ろくろ始め、うちなー口のナレーション。濱田庄司先生の使った蹴りろくろ
もあり、沖縄の焼き物の概括も手に取るようにわかりましたし、
ビデオでも興味深いもの数点あり沖縄滞在中に3回ほど足を運びました。
博物館の前は壷屋やちむん通り20〜30店のショップと裏筋に見学可能な
工房がいくつも。
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新垣製陶所のきみ子オバーチャンと話したことが忘れられません、
10才の時はじめて掻き落としの仕事をやってみろと言った
おとーさんは決して怒らずいいところを誉めてほめて教えてくれたそうで、
「きみ子、いい仕事をしようと思ったら、目と手と心(くくる)が
大事(でーじ)だよ」
と言われたそうです。濱田先生や柳宗悦先生にもずいぶん可愛がられたそうで、
もう60年間この仕事をやってきてほんとうに良かったとおっしゃってました。
心が洗われる思いでした。
沖縄のろくろの回転は反時計まわりで内地と反対とか、なのにカンナは
同じ(ケズリの時右サイド4時の位置で高台底面と側面を同時に削る)とか
、化粧の内掛けをケズリの前にやって削った後に外側の化粧掛けをするとか、
生素地で下絵付してしまうとか、陶芸にある程度たずさわってらしゃる方なら
どこの工房を見ても仕事の段取りの違い、道具の違いなどなど興味は尽きない
と思いますよ。壷屋の焼き物は歴史的に見ると韓国の陶芸が薩摩に入って
島津藩の琉球支配で薩摩焼陶工が壷屋の基礎を作り発展したとのこと、
それで反時計回りなんですね。
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壷屋の工房は昔ながらの家内制手工業
長男から四男まで全員、焼物屋(やちむんやー)です。
ほかでも三男まで・・と云われうちの三人の息子を思い出しました。
沖縄5につづく
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