八風窯
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土岐美濃焼まつり
長野県 駒ヶ根市『くらふてぃあ杜の市』
彦根『花しょうぶ通り』クラフト市
『木かげのくらふと市』

案内チラシレポート

 

土岐美濃焼まつり
せともん(瀬戸物)・・・とゆーコトバにまとまってしまってた感のある「やきもの」
愛知県瀬戸市のやきものが江戸期に広がった結果の知名度。

でもじっさいは和洋食器の国内生産量50%以上が美濃焼。
なので岐阜県の業界は『美濃焼』を覚えてもらいたくって
ずーっとこの言葉の流布につとめてるなー。

美濃焼・・・岐阜県 多治見市/土岐市/瑞浪市で焼かれる和洋食器のこと個人の作り手の手づくりであれ、窯元の工房生産であれ、大規模な工場での大量生産であれ、すべてを総称して「美濃焼」。

織部/志野/黄瀬戸などなど桃山期の発祥時点では瀬戸ではなく美濃ではじまったみたい・・・これ学者がいろいろゆーし、瀬戸との本家あらそいハゲシーみたいでややこしいんですわ。瀬戸と美濃は昔から張り合ってるンやなー。

ともかく5/3,4,5『日本3大陶器まつり』のひとつと銘打たれた「土岐美濃焼まつり」に出展しました、以下はそのレポート。
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前日5/2。あらかたの展示してブルーシートをかけて土岐駅ちかくのビジネスホテルへ。

きのう書いたABC浴場とゆーフロ屋で汗をながす。
ホテルへの帰り道、公園で遊んでる女の子たちゲンキ。

この石碑、「陶祖之碑」です。

この土地にやきものを始め、発展させた陶工たちをたたえる碑。こんなんが瀬戸や多治見、土岐、瑞浪と各陶業地に立ってます。

この碑は昭和26年に立てられてル。漢文なので漢字を追うと・・・
 九州佐賀の唐津焼の技術がはいったこと
 熊本の薩摩焼の色絵の技術がつたわって発展したこと、

などが読み取れる。

一夜あけて5/3。
国道19号から山手にある「土岐美濃焼卸商業団地」へ。

土岐川の周辺にある町を見下ろす高台に、でーっかい商社の倉庫群がならんでる。
瀬戸や美濃では機械による大量生産が主流で、そーいった物を流通させる問屋を「商社:しょうしゃ」と云うみたい。京都では「問屋;といや」と云います。ここの団地は京都山科の「清水焼団地」とはおもむき違ってます。ここでは生産してない、あくまで商社70社ほどのの巨大保管倉庫の団地。

その倉庫群のタテヨコの道路にはられたテントが100。
倉庫の商社30社の蔵出し市。お祭り広場の食べ物屋台。
サルまわしや太鼓などのイベント・・・ことしで27回目。例年35万人の人出。

商社の蔵出し市では『詰めホーダイ¥800』とか『オール¥300』とか和洋中、業務用、園芸品。市価の3〜7割引きとか。商社は一部、手づくりの「陶芸品」もあつかってます。

テントでの出展も、この団地に参入してない中小の商社のそーいった品が中心やったけど、地元の個人作家や手づくりの窯元なんかでツテのある人たちが10年ほど前から出店しはじめたらしい。

でもマンネリになるでしょー、
それで他産地、県外からの個人の出店解禁とゆーことで・・・
ことしはじめて「作陶家コーナー」ができて、そのエリアが他産地からの個人の手づくりの人の出店場所でした。

3日間で25万円の売り上げ。まあ悪くない数字。
でも去年9月の「瀬戸焼きまつり」は2日で50万人の人出。36万の売り上げでした。

でも「この作陶家コーナーに人が集まりすぎる」、
いいかえれば「他産地の手づくりのモンに客とられてル」とゆー声が各商社さんからあがってるそーで・・・

来年の出展料はあがるかなー、ことしは2間×1,5間のテント半分で3万円の出展料でした。


           母は強し 赤ちゃんオンブで接客

京都山科の清水焼団地の陶器まつり7/18〜20で、いつもぼくとテントを分けあってるKさんの奥さん。
この期間中、kさんは栃木県益子の陶器祭に4/26〜5/5まで売りに行って、奥さんがこっち。夫婦トモカセギっちゅーことですわ。
おぶわれてるのが陸くん。

「陸」くんは去年の清水焼団地の陶器まつり初日7/18に生まれた。

明け方に瀬戸を出て下道走ってたどりついた山科の団地。
出店準備しながらもkさんは前夜、破水して緊急入院した奥さんの容態を気にしてた。かなりの早産。

ケータイが鳴り母子ともに無事。まわりのみんながKさんの長男の誕生を祝いました。

「団地の陶器まつりの初日に生まれたんやから名前は『団一』にしろー」と勝手な命名をしてました。


5/5の夕方5時。
みんないっせいに片付けはじめる。
6時をすぎ7時をすぎると、そこここで別れのあいさつ。

となりあった者どうし、助け合い、食べ物を分かちあった3日間。やきものとの出会い、勉強の道筋、苦しくもある現状をやりとりしあい、はげましあう「やきもの屋のくらし」

売れた者も売れなかった者も、
地ベタと空間を共有して「まつり」を終えたことに感謝する別れ。

若いやきもん屋、おじいさんのやきもん屋、女の子のやきもん屋、そのこどもたち、その家族たち・・・みんなそれぞれの「やきものの現場」にもどってまたあしたから作りはじめる。

ありがとーございました
またどこかであいましょー
おげんきでー

・・・深々とおじぎしてひとりひとり去っていく。

いちばん最後になって、だれもいなくなった団地で、売れ残ったやきものを梱包しながら思う・・・

自分のつくった品もンを道端で並べて自分で売る「やきもん屋のくらし」
はじまりも、結果も、展望と未来もこんな風な「まつり」のアキナイのなかにある。
出会うお客さん、出会うやきもん屋の仲間、みんなみんなのおかげで・・・

「しあわせな暮らし」させてもろてるなぁ・・・・



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