鶏の声で目がさめた。
日の出は6時ころだが、気のはやい鶏は3時ころにはトキをつげる。
5時ともなると鳩たちが鳴きはじめる。
鳩たちの声は、遠くどこか地平の方からやって来て、いまはもうこ
のホテルの庭にいすわってる。
ご近所の鶏たちも元気に今朝の一声をあげて唱和する。
ベランダから見えるヤシの葉にもまぶしい陽差しがあたってる。
今日も晴。
庭にでるともう何人かの人が庭仕事のかたづけにかかっていた。
芝生の上におちたゴミっぽい葉をひろって、たっぷりと水をうつ。
そして何輪かの落ちた花はそのままに。
まるで朝茶事のこころづかい。
時刻は6時半。
南禅寺の瓢亭の朝がゆはあの値段で朝8時から。
五条坂の陶器まつり最終日には行くことにしてるけど、
あの苔の庭、池、夏らしい葭簀の入った部屋のしつらえといい、しとどに水を打っ
た敷石の涼やかさといい・・
かたじけなさに涙こぽるるっちゅうカンジやねえ。5時くらいからかからんと8時
の席入りはでけんやろ。・・・
バリのホテルの人らも、ようやらはる・・・。
「スラマッ パギッ(おはようございます)」
今朝は入り口をでて右へ。
まがったらすぐのとこに制服の女子高校生。白いブラウス、紺のスカート、
カモシカのような足に白いソックス(ルーズではない)。
青いリボンでおさげにしてる。
バスをまって黄金色の朝日をあびてる。
「オッー・・ウツタシー!」おれはこの手の女子高校生にはムチャクチャ弱いんや。
無断で一枚。ことわってパシャ、パシャ、パシャ。
どんどん歩く。どんどん撮る。くっきりとに目に飛びこんでくる。
光のなかの対象をファインダーで切り取ってゆく。
レストランの朝の掃除。
開店準備。御供えをする老婆。
御供えのあがった祠。クルマを洗う人。バイクで出勤するカップル。
自伝車の少年。ハイビスカスで飾られた神像。となりの庭の赤ん坊と猫。
朝食を了えて、チェックアウト。マデイさんも来た。出発。
バトゥブランヘもすぐ着いた。
マデイさんの知ってる石屋さんを見学。
砂岩をほった神像の数々。雨に打たれて古色がつくと
おもむきが出る。 インドのガネーシャみたいな象神、
グリグリ目をむいた牙のある神、楽器をたずさえた
観音風の女神。いずれも空間を埋めつくそうという
意志にみちて過剰なまでの装飾を帯びている。
悲愴かつ愉快である。 これもまた、寺院をかざるために、
神への捧げ物として農民が余暇に彫ったものが源流とのこと。
午前中のはやい時間に農作業を了えて、昼からは絵を描き、
木を彫り、石を彫り、楽器をたしなみ、踊りを修めて、神への
捧げ物とする。たのしい遊びとしてのいろいろな『仕事』。
ゆたかな実りが約束されているからこその、
ゆたかな遊びの時間。
熱帯。二期作。灌漑・水利の恩恵。大地と森と海の恵み。
豊かなんや、基本的に。
北の日本の農民には望むべくもないこっちゃ。
クルマはウブドヘむかう。いくつかの町を抜ける。
バイクの二人乗り、後ろの男は自転車をかつぎあげて乗ってる。
びん入りコカ・コーラの配送車を何年かぶりに見た。
飲み物はだいたいびん入り。そして男女の別なくストローを使う。
おれがびんに直接くちをつけて飲むのを見て
「オー、よくない飲みかたあ」と云うた娘もいた。
田んぼの中をとおり抜ける起伏の多い郊外の道にかかる。
水の入った田んぼには家鴨がいっぱいいる。田の草取りのはたらく家鴨。
内陸へ向かって30分も走ると急に涼しくなってきてウブドに到着。
「マデイ さん、まずホテルを見つけたいんやけど・・・」
「ケイ、安いところだとRp.2〜30,000だ。サヌールのタマ・アグンみ
たいな中級ホテルだと$30〜40だ。どっちがいい?」
「う−ん。やっぱり安全なほうがエエしなあ。$30〜40のとこで。」
マデイさんは心あたりのホテルがあるとのこと、ウブッの中心部を走る。
小さな町。キレイ。レストランと中級のホテル、観光客むけのブティック、
ギャラリー、土産物屋がつづき、緑の多い町並みをまばゆい光に照らされながら
観光客が散策してる。徒歩で、貸自転車で、貸バイクで。
う−ん、ええカンジの町。クタ、サヌールときてウブド。
だんだん安全なカンジになってきた。
モンキーフオレスト通りのプルティウィ・バンガローに着く。
部屋を見せてもらって気にいったのでここに決める。
高い方の二階の部屋。
ベランダがあり、よせ棟の天井はすごく高くてファンがついてる。
美しいプールのある庭。これで$45。一階だったら$35。白人の客多し。
荷物は置いてマディさんとモンキーフォレストに行く。
ホテルを出て右へ、歩いてもすぐの距離。
聖なる森、開発からまもられた原生林。
森の木漏れ日の中、すごくちっちゃい子猿を抱いた母猿。たくさんの猿たち。
みんな餌やって写真撮ってる。
森の奥には寺院。祭りのときしか入れない大事なお寺。
寺院の前のひらけた場所に日本人らしき青年。大店のボンボンみたいな風貌。
さらにおれの後ろからも長髪をたばねた日本人青年が。20才代前半。
マデイさんは地元の人、となんか話してる。
三人、誰からともなく話しはじめた。
四日ぶりにスラスラ話せる日本語会話。
「バリは何日目ですか。」とボンボン。東京人。20才代前半。フリーター。
「バリに入って10日日だけど、最初、シンガに入ったんで日本を出て20日目。
いられるだけバリにいようと思ってる。」と長髪。東京人。
「シンガって?」
「あ、シンガポール。」
話題は旅なれた長髪に初心者のボンボンが教えを乞うという形に流れてゆき、
いかに安くあげて長期滞在するかという貧乏旅行術の極意から、
貧乏自慢へと発展してゆくもよう。
オッチヤンには無用の情報ばっかし。
失礼するキッカケにと彼らをビビらす
マデイさんといっしょに森をぬけてもどる。
なんかおれもイジワルじじいになっていくなあ。大人げないよな。
嫉妬してるんやろなあ。彼らの手つかずの自由に。
若い人には無限の可能性がある。それはそう。
と同時に無限の不可能性もまたあるっちゅうわけで、
何にでもなれるけど、何にもなれんかもしれん。
これが若い時の不安のタネ。
四十男はもう何かになってしもてるもん。知らん間に。
焼物を作る職人、作品を創造する陶芸家、4人を雇てる工房の社長、
三人の子の父親、十年暮らした夫婦の夫の方、もみじ保育園のPTA会長、
字の組内では来年あたり子供会の役と班長がまわってくるやろ。
役、役、役・・・役や。
このまま役割を演じつづけていければ、それなりにシアワセではあるのだが、
煮つまってしまうていうか、先が見通せてしまうていうか、望んでなったはずの
もんも役となると、なんとのう首がおもたい。ゼイタク云うてるなあ・・・・。
「マデイさん、プリルキサン美術館にいきたいねんけど、おなかすかへん?」
「ウーン、まだいいな。ケイ、これから明日、あさって、どうする?
ウブドには何日いる?またクタヘはもどらないのか?」
「まだ考えてないけど2〜3日はここで過ごして、
きっとアグン山か、バトゥル山に登って、キンタマーニの方から
北のロヴィナビーチの方へでも行くことになるかなあ。
わからんけど・・・。ほんで、またサヌールあたりへもどって・・・
最後の日はクタヘいくからまたマデイさんに乗せてもろてあの娘との約束、
ほら写真フィニッシュしたらあげることになってるやろ、
もう3本も撮った。そやしカパにつれてってもらおかなあ・・・・
あとお土産も買わんなんし・・・」
「オーケィ。ケイ、じゃあ、クタのベモ・コーナーに来てくれ。
電話は無いんだ。だけどかならずあそこにいるからもう一度乗ってくれ」
マデイさんはクルマを市場の近くのプリ・サレン・アグン(ウブド王宮)前の
ベモ・コーナーに停めた。たくさんのタクシー・トランスポーターが客待ちして
る。時刻は午後2時をすこしまわったところ。マデイさんが云った。
「ケイ、美術館とかお寺とか、ここウブッじゃ自転車でまわれる近さだ。
貸自転車は1日Rp.4000。オレはそろそろクタにもどるよ。
あんたの旅行の終わりの方でクタにもどったらまた是非乗ってくれ」
「オーケィ、約束する。6月4日か5日、クタのベモ・コーナーに行くさかい。
写真を渡しにカパヘ行こ。ほんで今日のぶんのお金、どうやろ半日やったか
らRp.50,000で」
マデイさんはいたずらっぽい目でほほえみながら、ダッシュボードに置いてた
ガイドブックを腕を伸ばして取ると裏表紙をめくってその数字を差し示した。
60,000−−Harf Day to Ubud
最初の日、おれが書きつけた文字。
「オーツ、マデイさん」
彼の記憶の良さと、かわいらしさに感心して思わず笑いだしてしまった。
「ごめん、ごめん、忘れてた、60サウザンドやったな。ちょっと待ってて、
マネーチェンジャーでTC(トラベラーズ・チェック)を替えてくるさかい」
ウブッは観光地だからいたるところにマネーチェンジャーがある。
しかもここらはいちばん町中のメインストリート(片側1車線やけど。)。
すぐにブテック兼、レンタサイクル屋兼、両替商が見つかって換金できた。
Rp.4000で自転車も借りる、21段変速のマウンテンバイク。
ベモ・コーナーにもどるとマデイさんが地元の運転手の一人と話していた。
まず60サウザンドをマデイさんに。
するとその運転手が名刺をくれて、自分はマデイさんの友達だから明日以降近辺の
案内は自分にまかせてくれと云った。
そして彼のクルマを見せてくれた。
マデイさんのダイハアツウとは比較にならない立派な4WD。
白、ピカピカ、大排気量、エアコン付き。
おれ一人にはでか過ぎるといったら同じことだからという。
1日でいくらかと聞くと、「At you。」
「今晩考えて決めたら電話する」と答えた。
マデイさんはなにも云わない。
彼と別れておれはマデイさんにシャッターを切ってもらった。
自転車にまたがつて、ウブド王宮の階段で。
「さよならを云う時や、ほんまにありがとう。
すごく役に立った、乗せてもろて、インドネシア語のええ先生やったし。
もどったらまた乗せてもらうしな」
「ケイ、気をつけて、明日から一人だ。日本語をしゃべるやつには注意しろ。
悪い奴もいるから」
「ありがとう、トリィマカシ、スラマッジャラン、さよなら」
黒のダイハツゥはスタートした。
自転車に乗ってしばらく走ったところで気がついた。
「しもたっ!フィルム3本クルマに忘れた!」
ベモ・コーナーにもどってマデイさんの友達に相談したが、電話はないし、
やっぱり直接クタのベモ・コーナーヘ出向くしか方法はなさそう。
そうするつもりになって、も一度ペダルをふんで走り出したら、
むこうから黒いダイハツウ。
「ケイッ!フィルム!フィルム!」マデイさんだ。助かりい。
もう一度、感謝と別れの言葉を交わしあってたら、
マデイさんが最後にこんなことを云う、
「ケイ、さっき会った男、彼とはほんとはあんまり友達じゃない。
だから彼とは行かない方がいい」
事惰はすぐ飲みこめた、マデイさんのアドバイスにしたがうことにした。
プリ・ルキサン美術館の庭はとてもキレイ。日本人のハネムーナーも。ちらほら
、バリ絵画の変遷がよくわかる。
腹がへったので美術飾むかいのレストランでおそい昼食をとる。
ガドガド(温野菜・厚揚げなどのサラタ)となんかの肉料理、もちろんビール。
サラダとかにかけるピーナッツソースはちょっと甘すぎるなあ・・、この肉は
かたいけど味がある、そしてスパイシー、つけあわせのナシ(ご飯)はインデイ
カ種でバラバラ。おととしの米不足のとき食べたタイ米といっしょや。
ビンタンていうこの銘柄のビールすっきりしてて飲みやすい。
そやけど一人で旅行してると一回に何皿もとれへんのが損ちんやなあ。
いろいろ食べたいのに、これでも多すぎるくらいやもん。全部で¥800。
ゆっくりメシ食って、レストランの中から外をスケッチしてから自転車でブラ
ブラ。途中DPEにフィルムを出す。
ヴィナ・ウィサタと云う観光案内所でミニツアーや夜の伝統舞踊なんかの情報を仕
入れる。ここはウブッのクタ化をふせいで観光の手助けし、地元の人には伝統文
の誇りを失わないように呼びかけている村議会運営の案内所。
観光地化するってことがマイナスのイメージを持つのはここバリでも同じらしい。
ヴィナ・ウィサタだけじゃなくいろんな店の前にもツーリストインフォメーション
が書き出してあって、『水曜発のジャングルトレッキング2名あきアリ』とか
遠いところ近いところ、日帰り、一泊、いろんなツアー情報があふれてる。
とりあえずこんなんに入って近隣のポイントをざっとまわつてから、
じっくり一人でもう一回、絵を描きに行くのも手かなと思う。
伝統舞踊、ケチャ・バロン・レゴン・ワヤンetc、驚いたことに日曜から
月曜まで毎日3〜5か所で見れるらしい。すこし遠い2〜3の村での催しには無料
バスが出てる。聞きしにまさる文化的密度。
よ−し今日の晩はポナ村のケチャ&ファイヤーダンスを見に行ってやる。
自転車でホテルにもどりシャワーと着替え。
午後6時にヴィナ・ウィサタからバスが出るので、自転車返しがてらモンキーフォ
レスト通りを走ってると16、7才の少年が飛びだしてきて。
「チケット?ダンス・チケット?」
とりあえず止まってみる。聞くと彼の売ってるチケットは別の場所のバロンダ
ンスのもの。ポナのケチャに行くんだと伝えると、今からヴィナ・ウィサタヘ
自分が行ってそのチケットを仕入れるから、どうか自分から買ってくれと云う。
歩合がもらえるからこその学生アルバイトらしい。
承諾すると5、600mさきの案内所へかけだして行った。
自転車を返して案内所へ行き、少年にRp.10,000渡した。
チケットの値段はどの場所、どのダンスでも一律Rp.7,000.
かれはRp..300だけおれに渡した。
「カモーン、3,000!」と云うと、少年はてれ笑いしながらRp.2700
追加した。
無料バスは無料バスだけのことがあって、シートに穴がいっぱい、ドアが閉ま
り切らない、バスって云ってもマイクロバスですらなくベモ、ゆったり座れば5
人乗りのところに12〜3人詰めこむ。振動もすごい。そして臭い。
マデイさんの車は全然臭くなかった。 その後の経験と合わせてみると、
初日の夜の空港からのタクシーがNo.1で、この無料バスがNo.2。
あとのクルマはみんなタイジョーブ。このバスの5倍はくさかったな、あのタクシー
。インドネシア当局、あそこにあのタクシー配備すんのん、マズくない?
顔でしょ、空港って。
乗りあわせたのはドイツ人のゼミの学生たちと担当教授らしき一行と、オース
トラリア人のカップルか。
ボナヘは20分ぐらい、暮れかかる田舎道をつっ走る、ガタガタふるえながら。
だだっ広い草地の駐車場に到着。
秋の虫が鳴いてて、ヒジョーに涼しい。ほかにも何台か着いてる。また一台来た。
なんかおっきい地蔵堂みたいな建物の中へ、竹と木でつくった小体育館といった
おもむき、地面むきだし、足場板で作った観客席が両脇に三段づつ、後方は折
りたたみのいす席が五列ほど、せまい舞台は30cmほど高くなっており真ん中
に書き割りの割れ門・コの字形に観客席にかこまれた舞台前のスペースは20畳
ほどか。
中央にひとの背丈ほどある鉄製の燭台がすでに据えられている。
今夜の観客の入りは60〜70人くらいか、キャパの半分くらい。
前の左、ひな壇最前列に腰を下ろす。
入口でもらった説明文を見てみる。
日本語、英語、ドイツ語、自己申告で説明文をもらうのだが、
これがローマ字で表記された日本語。
kechak odori・・・kono odori wa kechak
odori to iimasu・・この調子でA4全面、びっしりローマ字
で埋めつくされてる。ケチャ、フアイヤーダンス、のストーリー展開やいわれな
どなど熱意をこめて書きこんであるのだが、これでは読めん。
改善を望みま−す。
燭台のあかりにぜんぶ火が点けられ、上半身裸、
黒白チェックのサロンの男達が50人ほども入ってきて、
燭台を取り巻き、あぐらをかいて車座に座り、両腕
を前方に突き出したと思ったら、いきなりそれは始まった。
背筋にふるえが来た!
生音のケチャはすごい!
思わず立ち上がって、最上段に上り必死にクロッキーした。
男たちの声が奏でるリズムのつづれ織り。
基底音を発する男のアッ・アッ・アッ・アッという声に4パターンの
リズムグループがかぶさる、チャッ・チャッ・チャッ。
4拍子に7つ、5つ、6つ、6つと打ち込まれる複雑な
音の網目模様が空間を支配する。
圧倒的な肉声のポリフォニック・パワー。
演劇的要素、男達はときにに身体をゆすり、腕を高くつき上げ、
立ち上がり、倒れる。
舞台の割れ門からは仮面をつけた善悪の二王、猿神、猿、きらめく冠と
錦糸をまとった美姫たちがあらわれ燭台のまわりでラーマーヤナの物語がつむがれ
てゆく。
それぞれの登場人物には固有の旋律があり、
それを奏でるソロの男たちの声がかさなってゆく。
圧倒され、興奮した。
身体をゆすり、足でリズムを打ちながら必死で描いた。
18才以上の男はすべて、パンジャール(共同体)の
ケチャグループに入る。
才能のあるなし、音楽が好きでも嫌いでも関係なく。
そして1つのパートについたら、ずっとそれだけをやる。
4拍子に5つ、チャッ・チャッ・チャッ・チャッ・チャッと
入れるパートについたら、ず一つとそれをやる。
少女の踊り、燭台の灯りにてらされて、かそけく
頼りなげなうなじと腰がゆらめく。
神気を表わしてまばたきしない目。大きく見開いて
なにも見ていない目。
妖しく美しい。少女は囚われ、後手にひざまずき、
冠は燭台の光にかがやき、
美神の矢によって解き放たれる。
神々と王、美姫の物語は男たちの声の中で語り了えられた。
演じてる男たちの中には、おれが描いているのを気にしておもしろがってる様子
の人もいたし、踊り手の少女どうしが顔を見交わすシーンで笑いだしそうになっ
てるのが見てとれた。おれにはそれがかえって好ましく思えた。
かれらはフツーの人、ただの10才の女の子。
その人たちがこんなにスゴイ音楽と舞踊を持っていて、
ある時にスッと芸術家、パフオーマーになれる、そのことの証左だ。
フアイヤーダンス。
まず濁台のあった位置にヤシの殻が積みあげられ火をつけられた。
あかあかと燃え上がり燃え落ちる。よくおこったオキになったところで
数人のケチャグループ登場。そしてワラでつくった馬をかついだ男が一人。
ケチャの声にあわせて馬のように火のまわりを駆けめぐる。
そしてやおら火の上を駆け抜ける、裸足。
何べんも火を蹴散らしながら駆け抜ける。
観客席すぐのとこまでヤシの炭火は飛んできて、悲鳴をあげる女性、どよめき。
トンボのような道具でもう一度、火をよせるオッサン2名、黙々と。
またしても蹴散らすワラ馬男。火をよせるオッサン達、黙々。
結局、このワラ馬男は何十回も火、を蹴散らしたのち、ひざまずき宗教儀礼によ
って魂を静められ癒されたもよう。
最後は両足を投げ出して地面にすわり霊水を頭にふり撒かれて放心していた。
あとで足裏を見たけど、もともと黒いので火傷の有無は分からなかった。
パンジャールの男が一人、すべて終わったことと感謝の言葉をのべ、
ワラ馬男への喜捨をよびかけてあいさつを締めくくった。
まだ赤くおこっているヤシ炭の火にぞうりを脱いだ足裏を近づけてみたが、
とてもその上に足を置くことはできそうになかった。
何人かのケチャの男達がおれのクロッキーを見たがり、ほめてくれた。
ウブドの町にもどると9時をまわっていた。
写真を取りにDPE店にいく。
ちゃんとポケット・アルバムに入れてくれてる、サービスがいい。
この店は伝統音楽、ガムラン、ケチャ、ジェゴクそれから
インドネシアポップのCD、カセットなんかを売っている。
CDは伝統音楽のもの、日本製が多い。
日本人らしき女の子が一人、店の人とこっちの言葉でやりとりしてる。
涼やかな顔。スラスラ話してる。
話しかけよう、 ′
けど今おれは偽バリ人の格好、ジゴロかなんかと間違われたらはずかしい。
赤表紙の日本国パスポートを水戸黄門の印籠みたいにつきだして、
最大限ていねいな標準語イントネーションで
「日本人なんですけど、お時間がおありでしたらすこしお話ししませんか」
彼女は宮原恵美。推定23、4才。肩までの髪、切れ長の二重。大阪人。
モンキーフォレスト通りのレストラン2階で話す。
彼女は砂糖ぬきのジャワ・ティをインドネシア語で注文した。
同じものを頼んでもらう。ラクチン。
日常会話は現地スピードで話せる。感嘆した。
「女の子が一人でバリを旅行するなんて勇気あるねぇ」
「二度目なんです。去年12月に女の子4人、七泊八日で来て、そのうちの一人
は8回目やったし。それでバリにはまってしまって、この五ケ月必死に言葉を
勉強して、こんなに一生懸命がんばったことないぐらい」
本・カセット・ビデオで独習したという。勤めは関西空港。
おなじ飛行機で来て4日日のバリ。
日本語に飢えていたところ、こっちもおんなし。
習いおぽえた言葉でコミュニケーションすることと、
思考するのに日本語を使つて
ることのあいだで断続があり、外国にいるあいだは
しょっちゅう頭の中の言語回路のスイッチを切り換えたり
繋いだりしてんならん、それもできるだけ素早く。
けっこうシンドイ作業。
日本語で話せることで頭の中がスーツとする。
二杯目のジャワ・ティを飲みながらいろいろ話した。
前回、宮原さんはインドネシアポップスのテープを買って帰って、
そのシンガーにファンレターを書いたら返事がきて、昨日と一昨日は
そのシンガーのレコーディングに立ち会って、そしてウブッまで
送ってもらったこと。
ウブッでレゴンダンスを習ってみようと思ってること。
彼女の泊まってるロスメンは1泊¥750で温水シャワーはないけど
とてもいい宿だと云うことと、四室しかないそのロスメンが人を雇っていて、
夜はたいていその人とおしゃべりしてるってこと。
その彼は明日の投票のために今朝、バリ西部の故郷に帰ったとのこと。
明日は投票日で半日仕事は休み、住居地からはなれて働いてる人は生まれた町
にもどる。投票に行かないことはとてもハズカシイことだと
彼が考えてるらしいこと。
彼女に聞いてみた
「投票に行ったことある?」
「一度も」テレ笑いしながら首を横にふった。
6月の12日頃までバリに滞在する予定だと云う。
仕事柄かなり休みもとれるらしい。
関西空港の採用試験は40倍の難関だったそう。
マドンナ、マイケル・ジャクソンで英語への興味をひらかれ、
高二の夏の短期留学とホームステイで進路をそっちへ思いさだめ、
外語短大のあと編入で4年生の外語大へ。
そして関空にはいれた。
ヒジョーにすっきりと進むペき方向を見いだして相応の努力をなし、
それが報われてきた頑張りやさんの幸福な一例。
現像した写真とスケッチブックを見ながら今まであったことを話す。
チケット売りの少年がオツリをごまかそうとした話から現地価格と観光客むけ
の値段のはげしい差についての話題になり、おれの見解を述べる。
「日本人観光客は金持ちでボーツとしてるからお釣りの勘定もしない。
そこにつけ込む人が出てくるのはトーゼン。
ほかの外国人はきっちり、はっきりもの云つてる。
ちっちゃい子に、こんなことしてはだダメよっつて云うニュアンスで
優しく説教してるドイツ人のオバサンとか見たよ。
あれは大事な態度やと思う。
だいたい、差がありすぎるねんもん、円、ドルとルピアで。
バティツク職人が1日働いて¥250。これは工芸の職人の日給やから低い方
の水準かと思てたけど、ここらの中級ホテルで働いてるホテルマンの日給もお
んなじなんや。ぼくら観光客がレストランで飲むビール一本の値段やで、
一日の稼ぎが。
ともかく観光客のおとす金は考えられへんはど大きいねん。
質量の大きすぎる巨大な天体が光まで吸い込んだり、まわりの空間をひずませ
たり、ブラックホールになったりするみたいに、いろんなことが起こってあた
り前なんや。
それとバリに何べんも来てる人が云うてたんやけど、観光客むけには、ある意
味で正義は無いんや。通りすがりのタダの人でしかないんや。
たとえばどっかの店で観光客がその人のあきらかな手違いを責めたりして、ま
わりの人に正義の観点から加勢してもらえると思もたらそれは無理。
だって通りすがりの人に味方することより現場の日常の上下関係と人間関係の
はうが大事なんや、現地の人にとっては。
いろんな物の値段、観光客にはごまかす、ふっかけるて云うて、日本円でそれ
なんぽの話?50円からせいぜい5〜600円くらいの話でしょ。
いきすぎはイカンし、ひどいことは許せんけど、徹底的に渡り合って、現地の
値段で買うなんて不可能やし、ふっかけられたその値段ですら安いやん。」
今日、マデイさんとの間であったことを、おれなりに宮原さんに解読した。
「その友達の前ではおれになんにも云えへんかった、その知り合いとの関係があ
るから。ほんで迷ってた面もあると思うねん、いらんこと云うてその知り合い
の儲け話をつぶしてええんか。
そやけどマデイさんはもどって来るまでにおれのこと守ろと決めてくれたんや
ろなあ。それでそいつと行くなて云うてくれたんや。
その男といっしょに行ったかて別にたいしたことないと思うで、なんか店に連
れて行かれてなんとのう義理で買わされるとか、
At youて云うてたチャーター料金がおれの思てる倍はどかかるとか。
その程度のことなんや。
まあ一概には云えへんと思うけど、ホテルに雇われて運転してるクルマやない
のに、個人営業のトランス・ポーターでピカビカ、でっかい4WD、エアコン
付きに乗ってるのは、ちょっとヘンなんと違うかなあ。
正直な人はマデイさんみたいにポロい車にしか乗れんへんのとちがう」
宮原さんはおおむね賛同した。
もちろん彼女にはサヌールの夜のことはナイショ。
「それにしても,個人で外国流行してるといろんな人にあって拙い英語で会話し
ながら全部自分で交渉して物ごとすすめていかんなんやん。
いきなり4才の幼児にもどったみたいや。
まわりの人の云うてること完全には理解できひんし、理解すんのに時間かかるし。
看板に書いてあること全部は分からへんし。
キップ一枚買うのんも、ジュース一本飲むのんも、その国その国の流儀、
やり様、見ぶり、手ぶり、知らんもんやさかい、いちいち戸惑わんなんやろ。
バリみたいにさっき云うたひずみの中やと、うまい英語を話す人、へたな英語
を話す人、うまい日本語を話す人、へたな日本語を話す人、インドネシア語だ
けを話す人がいてて、そのどの人らの中にもいい人も悪い人もいてるさかいに
会う人会う人、この人はいい人か悪い人か判断せんならんやろ・・・・、
若い時やと冒険ゴッコみたいでおもしろがってやれたけど・・・・
40才をすぎての冒険ゴッコは・・・・ちょっとツカレル」
思わず本音がでた。
11時にちかい、店を出てお互いの宿にもどる、同じ方向。
小学校前のサッカーグランドを通る
「ここ近所の村からジゴロがバイクで来て日本人の女の子に、ホタル見に行こう
とか云うらしいで、ガイドブックによると。宮原さん、ジゴロの人に会った
ことある?」
「まだありません」
彼女のロスメンは細い緒地の奥、真っ暗。
ずっと奥にその宿の灯りが見える。
路地の入口に料金を記した小さなサインボード。
表通りの中級ホテルははとんど外国資本か大資本の出資経営、
こういうちいさなロスメンが地元の人の経営。
水のシャワーか沐浴(マンデイ)の設備があるだけ、4室の小さいロスメン。
でも路地奥のロスメン入口まで宮原さんを送った時、そこの庭はとてもよく手入れ
されてた。とてもちっちゃい庭だけど。
ブルティウィ・バンガローはその路地の30mななめ向かいだった。
も一度外に出てライブやってるレストラン、プトラ・バーでおそい晩飯。
ウエイトレス・ウェイターのスケッチをたくさん措く。
午前1時頃就寝。
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