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バリ小説 |
カリブクブクにはちかづくな バリ個人旅行12日間 |
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第二日 5月26日 チュルツ・バトゥアン・マス・サヌール |
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朝起きて外に出たら、晴れやった。まだ7時前やから暑いことない。 庭の植えこみのほうへあるいていって、陽差しのあるところに出たらその強さに気 がついた。明るい。光がひがう。日本の光の2、3割増しの感じ!空の色も日本の青 空より青の色が濃い。チョビッとうかんでる雲の白さもクッキリしてる。 ちがう! 陽差しのなかでヤシの木、バナナの木、ハイビスカス、プルメリア、....エッー とそれから・・・・エッーとそれから・・・・。ともかく見たことのあるのもないの も、いっぱいいっぱいの南国の花が光りのなかで輝いてる。 あっ、あそこの池には睡蓮の花が。うーむ、やっぱり赤道の南やもんなあ。ずーっ とよこに行ったらマダガスカルがあってアフリカ、ケニアやもんなあ。 おもわず写真撮ってしもた。 こっちいったらどこに行くんかなあ。オーッ、プールや。うーん絵にかいたみたい なリゾート。プールにはいったまま、なんか飲めるバーもあって、もうお姉ちゃんが 仕事したはる。「写真撮ってもいいですか?」パチリ。かわいい子やなあ。もう一枚 パチリ。このプールのまわりはバリの建築様式で建てた古い2階建てのコテージがな らんでておれの泊まった新館よりフンイキあるなあ。あのヤシの木とプールをいれて こっから1枚。もう1枚はプールバーのお姉ちゃんと日焼けチェアと白いパラソルを 入れて、あーっ、あのヤシの木のてっぺんのキラキラ光ってるとこもいれたいなあ、 ほんでコテージのベランダにいてる外人の老夫婦もいれて、光りと影のコントラスト を強調して・・・・。バカまる出しである。コンパクトカメラで中級ホテルの庭でバ チバチ写真撮りまくってしまうんである。 でも、それぐらいキレイやった、光りの感じが。 このホテルは日本から¥7000(日本側手数料込みの値段)で予約いれた。この あと泊まった$35程度のバンガロー、ホテルはみんな同じようなプールと庭をそな えてた。花やヤシの木なんかにしても次の日にはこの朝のようには興味をひくもので なくなっていた。ホテルの庭だけでなく街中のいたるところに、たとえそれがゴミの 散らかった屋台のそばの垣根であったり民家の塀越しであったりしても、色あざやか な熱帯の花ばなと光と影を帯びた大小さまざまなミドリのひろがりは、あたりまえの ものとして、いつでも視界の中にあったから。 バリの自然の美しさに慣れてしまう。 その経験の幸福と得がたさは、いまも目の底にある。 メシ喰いにいこぉーっと。バイキング。インドネシア・アメリカン・ヨーロピアン もあって、うんミーゴレンは塩味のやきそばね。ウマイウマイ。けど、ちょっと塩が きついなあ。これは野菜炒め、スパイスが違うてておもしろい味や。 なんや、これはフツウのスクランブルエッグか。オレンジジュース、こっちはミカ ンとれるらしいなあ。あ、やっぱり、ちょっと味が違う。オイシイやん。あんまり喰 い過ぎんようにせんとな、いちおうダイエット中なんやし。 なんかこのホテルの客、中国系の人が多いな。パッと見ぃは日本人みたいやねんけ ど、態度がおちついてるてゆうか、慣れてるてゆうか、ずぶといてゆうか。 きっと金持ちのシンガポール人か香港人、台湾人なんかなあ。日本人はおれだけか。 ほかにもいてたらいろいろ聞けるねんけどなあ。女の子ひとりちゅうのはいてへんか なあ。まあウブッあたりまで行ったら・・・・・。 ジャランに行く。ジャランはこっちの言葉で、通りを意味する。ジャラン・レギャ ンはレギャン通り。街路表示はJl.ーーでーー通り。と同時に単独でジャランと云え ば散歩のこと。カメラとタオルを持ってレギャン通りへジャラン。 ホテルを出て右へ。南向一方通行、幅6m、朝のラッシュがはじまってる。バイク が多い。ホンダかヤマハの50ccか100ccにうちまたがって、みんな急いでる。 1車線は駐車車両でふさがってるからそんなに出せへんけど、けっこう荒いなあ。女 の人はスカートで横座り。いいながめ。おっ、3人乗り、4人乗り!疾走しながらの 親子団らんちゅうやつね。こども、ノーヘルやんか。台北でも韓国でも見たなあ。そ やけど、この朝の光りで見たら、街の印象が全然ちがうなあ。きのうの晩は薄暗いし 物売りは多いしちょっと恐いかんじがしたけど、南国の繁華街てゆうかんじやん、オ シャレな店もあるし。空が広お見えるな、ビルなんかほとんどないし、あ、店の軒先 で寝とる連中もおる。気づかれたら、かなんけど、パチリ。けっこうゴミ落ちてんの に不思議とキタナイかんじがせえへんなあ、それに、臭いがない。台北でも韓国でも 街にしみついたみたいな臭いがあって、慣れるまでは閉口したもんやけど、臭くない もんな、乾期やからかなあ。 ここまがろ、Jl.メラスティか。おオマワリが交通整理しとる、写真はやめとこ、 すぐなんやかや云うて日本人から金とりよるらしいしな。なんかまだ朝はやいのにタ ムろってるオッサンは多いなあ。あ、ワルン(屋台)押して帰らはる。夜どうし商売 したはったんやろなあ。あの炭火で焼いたサテ(串焼き)、うまそうやったなあ。そ のうち食べたろ。 このあたりは観光客相手の木彫り、水着、衣類を売る店がならんでる。木陰に木造 平屋が軒をつらねてひとむかし前の静かな漁村だったクタの印象の残るところ。祠に 朝のお供え物を捧げる女の子を見たり、木彫りの店の開店を手伝う少女を撮ろうとし てはずかしがって隠れられたり、店裏で遊ぶちっちゃい男の子たちを観察したり、ワ ルンで朝飯を調達する人たちにまじって、まずは無難にミネラルウォーターをストロー で飲んだりしながらビーチの方へ。ときどきは、見ていけ、買っていけと声をかけら れるが、しつこくない。静かな朝の散歩に彩りをそえてもらって楽しいぐらい。さて ビーチに出ると、 おーっ、音に聞こえたサーフィンのメッカ。さすがに波が荒い。 白砂の浜も広い。ずーっとずーっとつづいてる。ウツクしーいッ! 解放感にひたりながらとりあえずパラソルのラインむこうまで早足で。クタ・ビー チ物売りの悪名はすべてのガイドブックの必修科目。パラソルよりむこうには入れな い取り決め。ゆっくり波打ちぎわをあるく。 まだ早いからあんまりサーファーもいいひんけど、あっ、あそこでやってるやって る。おーおぅ、波がきついからなあ。そやけど今の若いやつら、あそぶことぎょーさ んあってエエなあ。飛行機でいっしょやったサーファーもなんべんも来てるみたいや し、なん人もおったしな。おれらの二十才ごろ云うたらポパイが西海岸、西海岸てあ おったり、ヘビィデューティ、ヘビィデューティて云うてモコモコのダウン・ウェア 売りつけられたり、ワクブとか云うて、ごっつい、ごっつい編み上げのワーキング・ ブーツ買わされたりしてて、靴脱ぐのに往生したもんや。ほんでほんまにやれること 云うたらウインド・サーフィンぐらいやった。琵琶湖で。もっとも焼き物屋の給料は 安いさかい2、3度講習うけてすぐ挫折したけど。もう20年もたってんのか。 少し行くと地元のお姉ちゃんがふたり、服着たまま波にうたれてあそんでる。 なにしろ波がきついさかい、フッとばされたり、おしたおされたり、キャーキャー たわむれてる。無邪気やなあ。スカートでもまくれたりしたら絶好のシャッターチャ ンス。いそいで近づき膝をついてローアングルにカメラをかまえた。そうゆうことは 起こらんかったけど、ちょっとテレてるふたりを撮ると、浜辺のほうにどうやら親御 さんがいるみたい。お父ちゃんとお母ちゃんとちっちゃい弟。 あ、砂に埋められてる。お母ちゃんのひざに座ったまま2才ぐらいの弟は胸まで埋 められてアーアー云うてる。おんなしやなあ。「スラマッ パギ(おはようございま す)。写真いいですか?」ちかづいて撮らせてもらって行こうとすると、お母ちゃん がなんかいいながら砂のうえをポンポンと叩いて座るように促した。一瞬、チップを 要求されるのかなと思った自分がカナシイ。 「ニッポンから?」 「はい、日本からきました。」 「はじめて?」 「はい、はじめてです。」 「もう何日もバリにいるの?」 「いいえ、昨日の夜、空港につきました。」 「今日、どこへ?」 「サヌールへ行きます。」 「そう・・・・。」 「あなたたちはここに住んでる人?」 「ええ。」 「あっちのお姉ちゃんたちとこの子、家族でしょ?」 「そう。」 ワヤンてゆうこっちの言葉をまぜたんで、お母ちゃんがちょっとほほえんだ。 お父ちゃんはニコニコしながらだまって聞いてる。 「ぼくにも同じぐらいの男の子がいます。2才前。」 「いっしょにきた?」 「いいえ、日本にいます。」 「ひとりできた?」 「はい。」 「どうして?」 「3人も子供がいるんです。7才、4才、2才前。みんな男の子。だから・・・。 それに絵を描きに来たんです。一緒じゃ無理でしょ。」 「そうね。」 「今日はお休み?」 「ええ。」 男の子はもの珍しげにこっちを見てる。お父ちゃんは少しずつ砂をかけてる。お姉 ちゃんたちはまだ波とあそんでる。 「話せて楽しかったです。ありがとう。」 立ち上がるとふたりは「サヨナラ。」と云って、お母ちゃんは男の子に 「セイ グッバイ.」とささやいた。 すこし歩いてから振り返って、も一度ふたりにあいさつした。 「スラマッ ティンガル(さよなら)。」 ふたりがにっこりするのが見えた。 散歩が長引きホテルにもどると、シュノーケリング・ミニツアーのピックアップが 来た後だった。時間どうり9時半ぴったりに来たらしく、部屋番号も告げてなかった し受付に連絡を残しておかなかったのでキャンセルとみなして行ってしまったらしかっ た。電話すると、今からじゃ一人のためにツアーは組めないとのこと。デイパックを 背負って金を返してもらいにアクセサリー屋に。あいかわらず物売りをかわしながら。 さてどうしようとガイドブックを検討。移動を決めて歩き出すとベモ・コーナー。キ ノコ屋のすぐさき。ここらあたりも午前11時の日の光りであまねく祝福されてきの うの晩とはべつの場所みたい。ベモ・コーナーには客待ちのタクシードライバーたち が。ひょいと顔をあげると通りのむこうからオイデオイデをしながら、ハッキリおれ にねらいをさだめて一人のオッサンが、熱心さのあまりアブナイ道を渡ってくる。そっ ちから来んかてこっちから行くやん。道のまんなかあたりであたたかくむかえられた。 これは用心せんとつけこまれるぞ。さきにイッパツかましといたれ。 「あんたのクルマ、エアコン、ついてる?」 最初、エアコンディショナーがなかなか通じんかった。仲間の運転手たちも交えて 何度か発音しなおすうちにアイルコンディシィオンがここでの正しい発音と判明。そ れは付いてんのかと重ねてきくと、苦笑して「ノォ。」サヌールまでなんぼでいく? 「20サウザンド。(¥1000)」高い。このガイドブックの云うとこでは、エア コンなしメーターなしのタクシーの場合、クタからサヌールは・・・。ガイドブック の数字を示すと「オー」っていいながら困った顔したりしてる。このおっちゃん口ひ げはやしたりしてるねんけど、どことのう人のよさそうなカンジ。わずか100円2 00円のちがいをこの暑い道端でながながディスカッションしててもナンやし、行っ てもらうことにしよか。 この人がマディさんやった。 クルマのなかで互いに名のった。「ケイ ナカガワ。ケイと呼んで。簡単でしょ。」 「マディ ムドゥル。」マディさんとよぶことにする。マディさんのクルマはダイハ ツの軽のバンで色は黒。リアウィンドーに鷲のステッカーがはってある。アイルコン ディシィオン・メーター・セイフティベルトなし。クルマは海岸沿いに北上。たんぼ、 草原、茶色い牛、ヤシ、畑、バナナ、民家、ゴミ捨て場、ただの空き地、ひろびろし てる。みんな明るい陽差しを帯びてウツクシイ。道路沿いにも木陰をえらんで物売り が。スイカ屋は積み上げたスイカのてっぺんの1個をぶち割ってのっけてる、あれは 試食用か。いくつもの鳥籠をつるした鳥売り、飲み物のワルン、食べ物のワルン。マ ディさんが話を持ちかけた。 「ケイ、どうだろう。サヌールまでいってアンタの行きたいっていうホテルを見つ けたら、その後どうする。どっか見てまわるんだろう。ナンだったらオレが案内する がどうだ。」「昼からで、どこまわれる?」「うーん、チュルツ、バトゥアン、マス ぐらいかな。」「銀細工とバリ絵画と木彫りのとこやな。行こうと思もてるとこやけ ど・・・、なんぼかかる?」「うーん、どうだろう、90サウザンド(¥4500) では。」「90かぁ・・、(このクルマで90は、きっとフッかけられてんのやろけ ど・・・。)オーケィ、おねがいます。」マディさんはハッキリ、クッキリ、喜びを 顔いっぱいに表現した。あ、ボラれたんかな。そやけどエエ顔してよろこぶなあ。ま るでウチの子供らぁが誕生日のプレゼントもろたときみたいや。 1日8時間働いて、250円。バティック(ロウケツ染め)の職人の賃金。 5サウザンド ルピア。マディさんはバティック職人18日分の稼ぎを、まずは確 保した。でも職人の賃金、それも古いタイプの手作りの工芸の職人の賃金なんて日本 でも低いもんなあ。おれが京都の窯元につとめてた時、業種別に最低賃金が決まって たけど土石・窯業なんか下から2、3番目やったもんな。バティック職人が250円 て云うても低いほうの基準やろ。とその時は思てた。 「ケイ、明日はどうする?」「まだ決めてないけど、たぶんシュノーケリングに半 日いって、ウブッに移るか、もう一泊サヌール。やっぱりあさってかなウブッに行く のんは。」「じゃあ明日もあさってもオレがつれてってあげようか。」「えっ、クタ からサヌールまでむかえに来てぇ?」「30分か40分だ、サヌールまでは。朝ホテ ルまでむかえに行く、8時とか9時とか、アンタの都合のいい時間に。アンタが泳い だり見たりしてるあいだは、かまわない待ってる。そして夕方4時とか5時とか6時 とかにホテルまで送る。それで明日一日で90サウザンド。あさってバトゥブランの 石彫を見てから、昼ごろウブッに送ってく、それで60サウザンド。どうだ、オーケ イ?」「うーん・・・(つけこまれてんのかなあ。まだ距離感もなんにもないし、相 場ていうても・・・、値切るてゆうても500円1000円のことやし・・・、この ひと英語もしゃべらはるし、こっちの言葉も教えてもらえるしなあ・・・。)うーん・ ・・。オーケイ、頼みます。」念押しするためにガイドブックの最終ページに90, 000−−All Day 60,000−−Half Day to Ubudと 書きつけた。 クルマはレストラン、リゾートホテル、土産物屋のたちならぶ海辺の町、サヌール に到着。クタよりよっぽど静かでユッタリした町のかんじ。マディさんにめざすホテ ルのリーフレットを渡した。安くて設備、サービスがいいと友人推薦の、ホテル・タ マ・アグン・ビーチ・イン。チェックインして部屋に入り、スケッチブックとかいる もんだけデイパックにつめなおして、ガイドブックを調べてみた。車チャーターの場 合。Rp.80,000くらいが標準。距離・時間・車のオンボロ具合によって料金 はかわってくる。要交渉。 うーん、あのひとけっしてワルイ人やない。 それにしても個人旅行はこうゆうところがツカレる。 クルマにもどってマディさんと出発。「まず、昼メシをたべましょ。サヤ マゥ マカン。えーっと、一緒には・・・・サマッ!」おれのヘタな旅行者用インドネシア 語の発音をマディさんはなおしてくれる。マディさんの英語はブロークンやけどピジ ン英語ではない。それでこっちも気が楽やけど、むずかしい単語ややさしい単語でも 通じないことがある。それはマディさんにとってもおんなしことで、ふたりともちが う言葉でいいかえてみたり発音をかえてみたりする。それで通じる。通じるとおれも マディさんもウレシくなる。でも問題はこの英会話、インドネシア語会話のレッスン が走るクルマのなかでおこなわれてることだ。オンボロ車、窓あけっぱなし、疾走す るバイクが突然の横はいり、強引な追い越し、クラクション、狭い道。レッスンはた びたびの中断を余儀なくされた。ワルンかルマ・マカン(食堂)でと云うたんでビー チのそばの店につれて行ってくれた。子牛肉のサラとスープとナシ(ゴハン)それぞ れ2人前。おれは小ビール(ビンタンという銘柄)。マディさんはレモンジュース。 屋台に毛のはえたていどの食堂。カウンターやビニールクロスのかかったテーブルで 7〜8人がたべてる。みんな現地の人。むかいに座ったんはここらのホテルで働いた はる女の人。ホテルの制服なのか、キレイな人やなあ。見とれながら食べ終えた。ぜ んぶでRp.7,000(¥350)だったので安すぎて頭が混乱した。 ビーチをすこしあるく。浜はせまいけど遠浅なのか沖まで淡い水の色。ここでも子 供らがあそんでる。かわいいなあ。マディさんがたばこをすすめてくれる。吸ってみ ると仁丹の味。丁子(グローブ)入りのインドネシアたばこ。マディさんはこれは高 いタバコだと自慢した。そこでおれもエコーを一本だしてものすごくやすいタバコだ と自慢して1本あげた。マディさんは特に感想をもらさなかったけど、おれは仁丹と いう有名な薬の味と匂いにそっくりだとおしえてあげた。 チュルツにも30分ほどでついた。あたりはシルバー&ゴールドショップの看板が いくつも。とある1軒にのりいれて、おれだけ中に。15、6才の少年が英語で説明 してくれる、まずは工房へ。といっても兄ちゃんがひとりポチポチ細工してて、どう やら観光客向けに実演してるという風情。売り場にはいるとショーケース越しに4人 が売りこむ売りこむ。あっちのコーナーには別動要員がまだ4名も。メインをとるの は白いブラウスのフリンジのはえるキレイなマダム風。「ピアス?イアリング?これ はどう?じゃあ、これは?」かなり巧みな英語(マディさんよりずっと)と簡単な日 本語で、抱き合わせ販売で金高をあげにかかる。カミさんは織物を織るのが仕事で指 輪ははめない、家で仕事してるからあんまりネックレスもブローチもつける機会がな い。それにこういうものは人それぞれのテイストがあるから買うのがむずかしい。カ ミさん以外にあげるべきガールフレンドはいない旨、理解していただいて、イアリン グひとつだけ買わせてもろてようよう解放してもらう。¥3000ぐらい。 そとに出て、マディさんのクルマにもどる。店の人とのやりとりを見てても、変な 様子はない。ガイド、ドライバーのなかには特定の店とタイアップしててバックマー ジンをとったりする人もいるらしい。だからガイドさんは金持ち。そんなガイド、ド ライバーは客が買わないとムチャ不機嫌になるらしい。マディさんは機嫌よく次の場 所へむかう。 バトゥアンではバリ絵画の店にいった。 絵描きたちもいたけどナガーイ休憩中でカードばくちをしてて描いてなかった。 こんどは20才ぐらいの案内の青年といくつもの部屋の絵をみてまわる。彼は英語 がダメで日本語専門。そうとうウマイ日本語。 「この部屋の絵はバトゥアンスタイルの絵です。特徴は・・・。」と、かなり突っ込 んだ絵の講釈をしてくれる。ただ時々かなり桁数のおおい絵の値段を云うのと、いい まわしが辞典棒読み風になるのと、発音が乱れて意味がとりにくいところがあった。 それと絵画に興味がない人だとかかれの説明は専門的にすぎるとおもった。おれはも ともと絵を描いてたし、バリ絵画のすごさにも惹かれてここまできたんやし、静かに 鑑賞したかったなあ。 じっさいその店にあった絵の中にはすごくいいのも、かなりの数あったんやから。 バトゥアン・スタイルの墨一色、あるいは淡彩を施した空間充填のすごさ、陰影のつ けかたの巧さには「ウーン・・・。」て感じ。作家名を聞くと、ある画家の名をおし えてくれ、そのスタイルのほかのものは彼の弟子たちのものらしく、やっぱり先生の ものは着想、構図、技術とも一段も二段も上にある感じ。バリ・ヒンドゥの宗教説話、 神話、村の生活、年中行事、あるいは観光客にあふれクルマにあふれた現代のバリへ の風刺画まで、すごい筆力と根気で大画面をビッシリ、思いつくかぎりのモチーフで 埋めつくしてる。しかもそれが有機的につながって連動し、画面全体にムーブメント を生み出し、ダイナミックな空間構成を・・・、えっ、専門的な講釈すぎる。えーっ、 そんなぁ、・・・。 ともかくこの一派はバリの絵師として、葛飾北斎派とみた。なかの一作、インドの ミトゥナみたいに男女交合の場面がふくまれている絵にはペニスもバァギナも結合部 分もちゃんと描いてあり、ちっともワイセツでなく意識下のエロスを主題にしたいい 絵があった。画面上のほかの部分、森の木々だとか岩や濃密な木の葉の重なりのなか にペニス・バァギナを思わせるかたちが潜ませてある。これはインドネシア政府の度 量なのか、絵師の名声のなせる技か、単に遅れてる国のホッタラカシなのか。 日本じゃピカソの『画家とモデル』シリーズだって公開してないもんなあ、アメリ カじゃ小学生だって遠足で見にいくのに、どっちが遅れてんだか、などとかんがえな がらシゲシゲと見てるとどうかんちがいしたのか青年が、日本人団体観光客オッサン 向けのお約束のエッチな冗談を云ったので、ガックーン。 青年は無理に売ろうともせず、むしろ彼の日本語説明のおかしいところをなおして ほしいなどと向上心に燃えている。かれに案内され次々と見てまわる。バリ民家風と いうか、別棟の部屋ごとにいくらでも絵がある。架けてあるもの、かさねて立てかけ てあるもの。どうしようもない売り絵もあるがいい絵もちゃんとある。 モダン・スタイル、伝統の色濃いワヤン・スタイル。60年ほど前、バリを愛した ドイツ人画家の影響でバリの絵画が革新されたて云うけど、もともと神への捧げ物と して農民が描いてたもんやろ、水準高いよなあ。ワールド・フェイマスになってワー ルド・ワイドな市場を獲得し磨きが掛かったって云うことやろなあ。 最後のでかい一棟はウブッ・スタイルの部屋。日本画とよく似ている。色調は岩彩 のそれだ。モチーフは熱帯の鳥、植物。バリの花鳥画やん。だから中央画壇に背をむ けて奄美大島にわたって絵を描いた孤高の日本画家、田中一村の絵とソックリだった。 「あなた画家ですか?」 「ちがう、セラミスト。壺とかお皿とかカップとかボウルとかつくる陶芸家。学校では油絵をやったけど。」 「いいお仕事ですね。」 これは社交辞令やろ。まだバリには陶芸家は存在してないみたいやし、日本における陶芸家の諸状況が彼に伝わってるとは思えんもんな。すごく特殊やもん。 「うーん、日本人は手作りの焼き物が好きだし、悪くない仕事だけど。ぼくも焼き物つくるの好きだしなあ。」 「どこかに勤めてるんですか?」 「いや、自分の仕事場を持ってて4人の人を雇ってます。」 「おー、あなたがボスですね。」 「うーん、ボスてゆうか、一緒にやってもらってるてゆうか、雇わせてもろてるて云うか・・・まぁ、ボスです。」 「あなたはお金持ちでしょ。」 「ちがうちがう、お金持ちじゃないです。すごく有名な陶芸家はすごくリッチだけ ど、有名じゃない陶芸家は貧乏。ぼくは有名じゃないんです。それにたくさん給 料を払わなければならないからすごくたいへん。」 「そうなんですか。」このあと結婚は、とか、子供は、とか日本のどこから、とか、 バリは初めてですか、とか旅行者が聞かれる質問のフルコースに誠実に答えて、かれ の日本語会話上達に一役買ってあげました。でもそんなにいやじゃなかった。かれも 誠実に答えてくれたから。 「それにしてもあなたの日本語はうまいね。どこかで習ってるの。」 「はい、デンパサールで。先生は日本人の女の人です。就職するには英語か日本語、 大事ですから。でも日本語習うのは、英語習うより50(フィフティ)パーセン トお金たかいです。」 「ふーん、たいへんなんやあ。」 クルマにもどるとマディさんはそこらにタムロってるおっちゃんらとダベってた。 どこいってもヒマにしてるオッサンらがおるさかい、マディさんも退屈せんですむみ たいやなあ。クルマに乗りこんで「スラマッ ティンガル」てゆうた時、ひとりのおっ ちゃんの左目がつぶれてるのに気がついた。2日でふたり・・・。眼疾が多いんかな・ ・・。日本ではこんなことないもんなぁ。実はおれの左目もつぶれてるんや、交通事 故なんやけど。 マスでは木彫りのアート・ショップに行った。ここもデカイ。二棟の展示スペース とも十分にひろく、大小さまざまの木彫作品がビッシリ。作品と呼んでさしつかえな い水準なんやから、数をしぼって照明に金かけてギャラリー的に売ったらヒトケタか フタケタ高う売れるとおもうけど、そんなもんでもないんかなあ。 ここではおれが作品のフォルムを必死にスケッチしてたんで案内の人もあきらめて どっか行ってしまった。中庭で5人ほどが実際に彫ってる。若い人ばかりやったけど、 このショップでは15人ほどの職人をかかえて、経験年数は5年〜15年、とのこと。 徒弟制なんかなあ。年季があけたらフリーの作家ということか。労働時間は8時から 5時。でもじっくり、ゆったり、たらたら、アソビながらやったはるみたいでウラヤ マしかった。 サヌールにもどったら4時半すぎ。あしたは9時に来てもらうことに。マディさん はクタに帰った。シャワー、センタク、着替え。たしかに、陽差しは強烈でも影に入 ると涼しい。それはそのとうり、エアコンのないマディさんのクルマでも決して暑く ない、なんやけど、やっぱり汗かいてる。食事のまえには着替えんとね。ジャラン に行く。「スラマッ マラン(こんばんは)。」 キィをあずけて、おもての海岸通りへ。このホテルは50mほど奥まったところに あるんや。進入路のうえに架かってる看板もそんなに大きくない。 日が暮れてきて、涼しくなってきた。どこのレストランに行こかなー、とホテルの 門口、左に折れて3m進んだところでレストランの客引きにつかまってしもた。 たった3m。レストランの客引きていてるかぁ、日本に。しかも悪いことにこの客 引きていうのんが、20才ぐらいのかわいいお姉ちゃんでエンジのサロン(巻きスカー ト、スリットが入る。)にピンクの上着、腰のとこサロンの共布でキュッと帯しめて てかわいい、かわいい。脇のボードみて値段たしかめたらフツーの値段やし、「あのー 、まだ時間早いし、ジャランに行って帰ってきたらここで食べるし、おなかもまだ減っ てへんし・・・。」て云うたらぁ・・エヘッ・・そのお姉ちゃんがぁ・・・かわいい 小指つきだしてぇ・・・「プロミス、プロミス。」て云うてぇ...指切りげんまん させられてしもてん。えへへへへ・・・。 おっちゃんはシンケンに怒ってるんだぞっ、プンプン。むかいの店なんか大きくて 木もいっぱい茂らしてるしオープンエアだったりしてもっともっとリゾートのレスト ランッっていうフンイキあるねんぞっ、そやのに約束させられたその店は間口1間半、 奥行き3間て云うかんじでカウンターとテーブル4つで25席ぐらいの店なんだっ。 ちょっとアッサリしすぎじゃないのか、君のところは。バリ・パブなんて。 それから長い夜がはじまった。 ジャランを続ける。レストランは大きいとこも小さいとこも客引き要員のウェイター 、ウェイトレスが表にたってて時々声をかけられる。「ほかの店と約束がある。」て 云うと引いてくれる。土産物屋からも「コンバンワ」と声がかかるが「スラマッ マ ラン」でぶらぶら行ける。物売りはいない。 日もすっかり暮れて夜風もふいて。 ここらは店もとぎれて灯りも少ないし、40年代(昭和)の日本もこんな感じやっ たんかなあ・・・あ、ワルン(屋台)や。地元のひとがサテたべてるな、暗い灯りで、 家族で晩ご飯かぁ・・、まるでガードしたのうどん屋みたいやなあ・・・、ここはク ルマも少ないし静かでええとこやなぁ。まあオフシーズンやしこうなんやろけど・・・ どの店行っても人あまってるて思もたけど夏は忙しいんやろ・・・、ここらの店やこ の通りかてごったがえすんやろなぁ・・・。と全面的になごみつつ歩いて行くと通り に面してオープンエアでイス、芝生の庭やプールサイドで使うやつ、木製の、それ並 べて売ってるとこがあって、そのとなりが土産物屋。そこに赤ん坊をだいた若いお父 ちゃんがいてて、声をかけてきた。 「コンバンワー、日本人?わたしは日本語、勉強しています。話したいです。いい ですか?」 この町のフンイキもあり、昼間の青年のこともあり、赤ん坊を抱いてるということ もあり、すっかり安心して立ち話に応じた。それにスケッチブックも持ってたからこ の親子を描きながら話した。互いのことを聞いたり聞かれたり。独学で覚えた日本語 らしくずいぶん不確かなとこがあった。おれが描いたその親子のクロッキー画を見せ ると「バグース、バグース(うまい、うまい)。」と感心してくれて、和気あいあい と話してると、唐突に 「オンナ好きですか?」 話のながれをたち切るような突然さに、なに言われてるのかわからなくて目を丸く してるとまた、 「オンナ好きですか?」 絶句してると、となりの店の方を指さして 「あのオンナ好きですか?」見るととなりの土産物屋の前にはジーパンはいた若い お姉ちゃんが通りにむかって腰掛けてる。べつにこっちを見る風でもない。 「あの、なに言ってるのかわからんのですけど。」すると彼は小声で 「イチマンエンダケッ。イチマンエンダケッ。」 「はぁ?・・・ふぅん?・・・ふーん。・・・ふんふんふんっ!」 事ここにいたって、さすがに鈍いおれも彼の云わんとするところを理解した。 「えーっ、でもっ・・・、そんなぁ・・・。」 それに一体、いつ?どこで?どのように?ほんとにあのお姉ちゃんとぉ? 次々にわきおこる疑問の数々、事体のあまりにも急速な展開についてゆけず困惑して ると、「コッチ、コッチ。」と彼に手をとられてとなりのいす展示場へ。ちょっと奥 まってるとはいえ通りに面してる。そぞろあるく外人観光客もチラホラ見える。この 店のガーデンチェアに座らされて、またしても 「イチマンエンダケッ。イチマンエンダケッ。」 一瞬前まで、ここは平和で安全なとこやなぁと思てたのに、いまは悪徳のささやき に応えて重大な決断をせまられてる。不思議なかんじ、赤ん坊抱いたお父ちゃんから ポンびきに変身した彼はいつのまには子供もどっ かにあずけてる。 「イチマンエンダケッ。イチマンエンダケッ。」 言うとくけどおれは、日本国内においても、台北・韓国においても、いっぺんもそ ういうことはしたことがないねん。セックスをお金で買う、円高を利用して海外でし たら安い、こういう考えを持った日本人のおっさんらは国辱やと思てる。 韓国は13年前、台北は16年前やけどそういうおっさんらで飛行機いっぱいやっ た。そやから台北の時なんか、前のカミさんと一緒やったのに、現地の添乗員は空港 からつれて行った料理屋で、カミさんがトイレにたってるあいだに 「オンナのひとはいいんですかぁ。」 「いや、この旅行はぼくらにとってハネムーンみたいなもんやから。」て云うてん のに 「本当に?本当に?じゃ、つぎに一人できたときに。」 て云われて、どうなってるんやぁ、て思たわ。きっとコミッション取るんやろなぁ。 それにつぎの朝、ホテルの朝メシのとき、ゴルフズボンに金バックルの日本人、若 いのんも、みんな前の晩のお相手と一緒にメシ食べてて、人の相手をじろじろ見とっ て感じ悪かったなぁ。そんだけ不遇てゆうことか、国内では、て思たけど。 ソウルのロッテホテル前のポンびきにつれられてゾロゾロお相手のお姉ちゃんたち とあるいてる日本人、これから部屋に行くとこかニヤニヤ笑いに不安をかくして・・・ 、見てるこっちが恥ずかしかったわ。 おれはなんにも堅物やない。 心を閉ざして生きてるんやったら、それは半分死んでるのと同じていうのがおれの 原則。心、関係なし、お金で体だけ買いますていうのは、おれはようせん。 結婚した人間は死ぬまでほかの異性と出会ったらあかんとも思わへん。 生きてる人間やったら気持ちがあってその気持ちが動くこともあるやろ、それが生 きてるていうことなんやから。 だれかと出会ってその人のこと知りたいて思て、もっと知りたいて思て、近づいて いく、とくに相手が異性の場合には、それが人を好きになるっていうことやろ。 自分の心をひらいて、相手の心もひらいてもろて互いにより近づいてゆく。 それが本当に人と人が出会うていうことで、そんな人間関係をつくり得たとして相 手がたまたま異性の場合には、互いに性的魅力をかんじるちゅうこともあるやろ。 実際にセックスするかどうかは社会的制約の重さが決めること。 結婚するっていうことは、もうあなた以外のだれとも心通わすことはしません、異 性とそういう出会い方はしません、役割演技だけして心は動かしません、自分の心を 殺しますって、結婚する相手に約束することなんか? 結婚するってことはそういうことやていう人もあるやろ。もともと自分の心はそん なには動かへんていう人もいるやろ。 そやけどおれは違うねん、どうしても心が動くし、生きてる以上ちゃんと生き たい、ちゃんと人と会いたい。その権利は妻であり母であり一人の人間、たまた ま女であるあんたにも保証する。問題はそれが起こった時にちゃんとふたりで考 えていこう。だからおれに心の自由、恋愛の自由をくれ! カミさんの返答。 「そんなこと、あたしは、したいと思わないし、そういう心が動かない。あん たが社会的責任を果たした上で、そういうふうに生きたいんなら止めることはで きない、でもあたしの気持ちがそのときどうなるかはわかからないし、どう行動 するかもわからない。・・・・・やってみれば。」 こっわっ−い。 男と女はちがうみたい。さっきの理屈はけっこういい線いってたと思うけど。 戦後民主主義の路線から見ても、カミさんにも恋愛の自由をみとめるってとこ なんか、肉を切らせて骨を断つ捨て身の戦法。 でもこの理屈は現行の一夫一婦制による婚姻制度の崩壊をまねく危険思想だから良 い子のみなさんはけっしてマネをしないでくださいね。 だいぶ日本もワヤクチャになってきたみたいやけど。 苦肉の策のこの戦法をアッサリかわされたので、おれとしては伝統的戦陣訓に したがうことにした。つまりーー認識されない事実は事実ではない。 この教えにしたがって、近年いろいろと努力をかさねてまいりましたが、いっこう に成果はあがらずじまい。 「中川さんてイイ人なんですねえ。」 ヘッ、おれとしてはむしろ、ある状況下で、たとえばホテルのベッドの上とかで 「ワルイヒト」って、耳もとでささやいてもらいたいもんやぜ。 だいたい家で仕事してるさかい外に出ていくことがないし恋愛ゴッコの対象になる 女の子と会うチャンスが極端に少ないやろ。カミさんを知ってる子はみんなカミさん の味方になってしまいよるしなあ、とんでもない悪妻やったらそこに活路も生まれる んやろけど、悪妻は困るもんな、おれも。 顔のせいかなあ、事故で片目が白なってんのもそうヘンやとも思わんし、顔の 傷も形成の手術2回うけてまあ目立たんと思うし、むしろもともとおれの顔て童 顔で甘いから、これぐらいアクセントがあったほうが渋みが出たゆうのか、事故 の前より良うなったぐらいに思てて、もちろん負け惜しみもはいってるんやけど 、世間の目はそうではないんやろか。 いずれにしろ、この10年、カミさんと結婚して以来、婚外性交渉を持ったこ と、早い話、はかの人としたことない。 恋愛のほうは結果がそうなんやからしかたないとして、おれが買春をせえへん のは、やっぱりおれが頭人間やからやろなあ。 それとおれが短大に行ってた頃は何度目かのフェミニズムの台頭期でまわりのお姉 ちゃんの理論武装の爪研ぎ台にされてたもんなあ。 ナイーブな感性を持っ良い子のボクチャンとしては買春=悪の図式がある以上、セッ クスをお金で買うぐらいならマスターベーションするべし、ていうのが正しい選択に なるわけで、脇をかためやや内角をえぐりこむようにして打つペし!打つペし!打つ ペし!(あしたのジョーより)、つてかんじで オナニーしてたもんな。で、窯元に勤めたらすぐ同棲、結婚。 逃げられてから、今のカミさんと出会って2回目の結婚するまでの間にも恋はあっ たしな。必要にせまられへんかったからなあ。 そやけどこないだあの本読んでおれの意識が変わつた面はあるな、竹内 久美子の 『BCな話』。おもろかったなあ。 一夫多妻の社会ではアブれる男が出てくるからその社会は売春に寛容になるとか 、熱帯の気侯、湿度が寄生者(バラサイト)の脅威を高めてそれに負けないでよ り多くの遺伝子コピーを残そうとして婚姻形態が一夫多妻にかたむくとか。目か らうろこの話ばっかりやったなぁ。まてよ、熱帯、一夫多妻ていうたらバリもそ うやん。おもて向き一夫一妻に移行してるみたいやけど・・、ということは・・ 頭がまわるまわる、ほんの少しの時間でこんだけのこと考えた。すると突然おれの 気持ちのなかで 「う−ん、それもステキなことかもしれない、これからの時間、しばらくのあいだ バリの女の人とすごしてみるのは悪くないアイディアやぞ。やるとかやらんとかそ うゆう事じゃなくって裸婦としてポーズしてもらってもいいし・・・。 まあやれるにこしたことはないけど。」 というピュアで清らかな心持ちが芽生えてきて、気がついたら新札の1万円を彼にわ たしてしまっていた。 ことわっとくけど、今回の旅行に際してカミさんに内緒でコンドームを6個持 つてきたのは、あくまでも、旅行中に出会う日本人女性、その他の国の女性、あ るいは現地バリの女性との間での自由恋愛の機運が醸成された万一の場合に備え てであって、けっしてこのような事態、買春を想定したものではない事をぜひと もご理解願いたい。えっ、それにしては数が多いって? 無礼なっ、おれは心配性なんやっ。 ともかく、いつ、どこで、だれと、どのようにして? なにしろ、生まれて初めてのことやし、わからんことが多過ぎる、しかも外国。 言葉の壁。彼の日本語も英語もあやふやなとこがあって、もひとつ要領をえ ない。とりあえず、いまから、たったいますぐから、所要時間約2時間でという ところまでは確認できたんやけど、泊まってるホテルヘ女の子がきてくれるのか どうか、あの土産物屋の子が相手なのかどうかという2点に関しては、どうもハ ッキリしないんや。 あのホテルちゃんとした中級ホテルやし、普通そういうとこはしかるペき現地人な らば、ゲストが望んだばあいでレセプションが許可した時にかぎって部屋に通ること ができる・・・そういう取り決めになってるはずや。 そやからマデイさんもロビーで待ってるわけやし、その点を問いただすとわか つてんのか、わかってへんのか 「ノープロプレム。」その云い方が頼りなくて・・・、とてもノープロプレムには 思えへんねんけど、話すればタイジョープなんやろか。 女の子に関しては、あの腰かけてるあの子なのかときくと、 「あの子が好きじゃなければ、むこうでちがうガールを選べる。」などと云う。 むこうて一体どこのこと?おれはあのホテルでと理解してるねんけどなあ。ほかの 場所に待機してる子を選んでホテルにもどるということなんやろか。????? 彼はバイクをひっぱり出してきて後ろに乗れという。まだ?????なんやけ ど、ともかく乗った。おれはノーヘル。もと来た道の方へ走り出した。 これは一体どういうことになんのかなぁ。でもとりあえずオモシロイぞ。 そう思て右の方を見てたらホテルを通りすぎた、いやバリ・パブを通りすぎた !ホテルの看板はちっちゃくて見えへんかったけど、さっき指切りげんまんした あの子もいたし、まちがいなくホテルを通りすぎた! コイツ、おれをどこにつれて行く気や。もう1Kmは過ぎたぞ。どんどん暗い 方に向かってるゾッ。 突如、恐怖にとらわれた。ガイドブックの危機回避「自己防衛」の項のさまざま な被害事例、状況報告がおれの頭の中にうかびあがっできた。ヤバイッ! 「どっ、どこに向かってるんや!おれのホテルを通り過ぎたぞっ!」 「ノープロップレム ゴー トゥ スペッシアル ホテッル。」 スペシャルホテル・・・、特別なホテル・・・、特別な・・・ヤッ、ヤバイ! 「トメテ!トメテ!トメテ!トメテ!トメテエー!」 左によせてバイクはとまった。 あたりに店はなく暗いオレンジの街路灯が大樹の影を落してる。 もとより交通量はおおくない。 バイクのバックシートを飛び下りておれはホテルの方へ、バリ・パブの方へ急 ぎ足で歩き出した。ホテルに帰るんや。安全なホテルに帰るんや。安全なとこに もどるんや。人のいるとこ、灯りのあるところに・・・。心臓がドキドキしてる のが自分でもわかった。 彼はあっけにとられてたけど、何かさけんだ。 「ホテルに帰る!ホテルに帰りたい!」 いぶかしんでる様子。おれがドンドンもどるもんやさかいターンして逆走し 歩道にすり寄りながらおれを説得する。 「スペシアルホテル 遠くない、遠くない。」 「どんな種類の特別のホテルやねん、それは!女の子なんかいてなくて、あんた の男友達が何人も待ってて、おれからパスポートとかもっとたくさんの金を巻き 上げる、そういう特別ホテルやろ!」 彼は首をひねってる。 「ワカラナイ。」 「おれは解ってんねん。急に言葉わからんふりしやがって。おれからもっとたく さんの金取ろうとしてたやろ、えっ、ちがうか!」 とまどってる彼はちょっと間をおいてから 「イエス。」と云った。 あ−、これはひっかかるわ、子供なんか抱いてるさかい、安心するもん。 「ノープロッブレム 遠くない、乗って、遠くない。」まだ云うかあ。 「もうエエ。もうエエ。忘れて!」 いままで何人ぐらいひっかかってるやろ。これは帰ったら外務省に報告しとい たほうがええぞ。サヌールのクタ化現象や。 まだバイクでおれのよこをついてくる。まだあたりは暗い。 「マネ?」 金は返して欲しかった。でも恐怖にとらえられてたから、どうでもいいとも思 もた。勉強代や。それにコイツ、ナイフなんかもってないやろな。 「その金はあげる。おれを連れていくのに失敗したら、あんたかて困るんやろ 、仲間と分けたらええ。あげる。」 彼は、ふに落ちないという感情と困惑とを顔にして、胸ポケットから一万円札 をとりだしておれの方につきだした。 一瞬手を出しかけたが思い止どまった。 もっと高度で悪質なさそいこみの手口がまだあるんだと思えた。この金はその 呼び水や。コイツは極悪人や。ふたたび恐怖を感じた。 「その金はやる。その金はもういらん。あんたたちにやる。」 金をつきだしたまんまの彼をおいてスタスタ、バリ・パブヘの道をいそいだ。 店について腰をおろしたとき、心底、安心した。フーツ、たすかったあ。 これはお笑いぐさである。 後々の学習によって、いまはそのことが解る。 彼は極悪人ではない。英語・日本語の会話能力に課題をのこした善意の人であ る。ちょっとお金もほしかったみたいやけど。彼の立場から見てみるとこの夜の 出来事はこんなふうに語られる。 ある晩オレが子供をあやしながら、ガーデンチェア展示場の前で涼んでると、 ヘンな日本人があるいて来たんだ。バリ人の男がするようにサロンを巻いて、ス ケッチブックなんかもってるヤツで。オモシロいので日本語で話かけてみたら解 るところと、解らないところがあったけど、まあ会話がはずんだ。一人で来た四 十男だったから、オレは気をきかしてやって、このヘンな日本人にオンナの世話 をしてやることにしたんだ。日本人の男、団体でそのために世界中にいくだろ。 知っている日本語はすくないけど前にもこんなことはあったしな。けっこうイイ こづかい稼ぎにもなることだし。オレとしてはこう言ったつもりなんよ 「もし今宵一夜のお相手をお望みならば一万円を私にお預け下されば、私がし かるべくお取りはからい致しましょう。ちなみに多民族国家インドネシアのバリ 島ではバリ人の夜の姫君も少しはおりますが、ジャワ人の姫君、その他の島々か ら来た姫君たちが殿方のお相手をする主力となっておりまして、それぞれ人種的 身体的特緻を異にしております。まあ日本の紳士方にはそれがお解りになりにく いようなのですが、そうそれ、隣の店番をしてる娘、あの娘なんかポルネオ人で よくその特緻がでてますが、どうです、顔だち・体形・肌の色、あなた様のお好 みにあいますか?いえいえ、あの娘は夜の姫君なんかではありませんよ。とんで もない。私は、たとえば、あのようなボルネオ出身の姫君もおりますよ、と、こ う申してあげておるわけです。もちろんインドネシアにおきましても混血はすす んでおりますので、まあ個人差もございますし、どの島から来た姫君であれ、娼 館にお着きになってから、お気に召す姫君をお選びになればよろしいかと。」 まあ実際にオレがそのヘンな日本人に云ったのは「オンナ スキデスカ」と「 アノ オンナ スキデスカ」と「イチマンエンダケッ」って云うスリーセンテン スだけだったけど・・・・。 そのヘンな日本人もやっぱりスケベだから金を出したんだ。 でも自分のホテルに連れ込めるのかとか、レセプションはどうとか・・ ・英語で云い出すから、タマ アグンヘは無理だなあって思ったけど、だんだん オレも面倒になってきて、とりあえずオンナ達のいるところまで連れて行ってや れば納得するだろう、ってことでバイクに乗せた。そいっの泊まってるタマ ア グン ホテルをすこし過ぎたあたりで「どこいくんだ」って聞きやがるから「姫 君達の待つ特別のホテルヘ、あなた様をお連れ申しあげます。」ってこたえたん だ。そしたら急に「トメロ!トメロ!トメロ!」って叫びだしやがって、ほんと びっくりしたぜ。そんでもって「ホテルに帰るっ!」とか云ってスタスタ行きや がるから、オレ訳わかんなくなっちゃてよう。いろいろ話しかけたんだけど、ワ カンナイことばっかり云うんだ、そいつが。ホテルに仲間が待ってて金取るつも りだろうとか、オンナなんかいないんだろう、とか。オレもそんなに英語わかる 方じゃないし、だいたい日本人ヘタだろ、英語。発音もナマッてるし。ぜんぜん ワカンナイことばっか。なんか金のことじゃ、もっと金とるつもりだろうとか 聞いてくるから、「ああ。」って答えたんだ、正直に。だってジョーシキでしょ ーよ、一万円ポッキリって云ってもそれはオンナについてであって、部屋代は別 とか、コンドーム代は別とか、ちょっとの出費がべつにいるもんでしょーが。そ んなことも知らなかったのかなぁ、アイツ。 そりゃオレにしたっで、電話で日本人つれてくって連絡いれといたあの店の連中に したって、ちょっとはカモってやろうと思ってたよ。金持ち日本人から少し多めに金 をまわしてもらおうと。でもちょっとの金でしょうが、日本人にしたら。 そしたらナイフがどうとかピストルがどうとか、グループでこのビジネスやってるの かとか、もっとトンデモナイこと云い出して、ちょっとオレも気味悪くなってきて、 コイツ頭おかしいのかなぁ、とか。警察にかけ込んだりしないかな、とかあ。 それでそいつに金返そうとして出したんだけど受け取らないし、またわかんないこ と云いながら帰っちゃったんだ。そいっのくれた金? 一万円。20万ルピア。 オレたちの40日分の給料。 額が額だしうれしいけど、気味悪くってさあ。やるって云うから貰っちゃった けどタイジョープかなぁ。やっぱりあの日本人、頭のおかしいヤツなんだろか。 オレもこれからは相手えらんで声かけるようにするつもりだわ。 コワイもん。 国際間の相互理解には互いの言語あるいは互いが理解しうる第三言語の習得、 習熟がヒジョーに重要です。また未経験の領域に潜み込んで行く際には良き水先 案内人をともなう事があなた身の安全を保証します。兼好法師も申されています。 よき先達はあらまほしきことなり。 |
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第三日 5月27日 ブノア、カパ・ベノ・サヌールの二泊目 | |
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