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『近江八幡〜石塔寺』 | |
近江八幡あたりのなんでもない湖岸でお弁当をたべて流れ着いた流木でこどもたちとインチキオブジェをつくった。 ハマヒルガオがいっぱい咲いてたし、ボール投げフリスビーも思う存分。 |
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ゆっくり散歩するのにいいところ。 この観光マップでチェック&クリックして。 http://www1.ocn.ne.jp/~omi8/map/map1.htm この風景から『八幡堀文』が生まれました。 |
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八日市郵便局から石塔寺まで15分 |
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地蔵のやさしいまなざしにはげまされて ながい石段を登りきると |
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三重の石塔 これは国指定の重要文化財 韓国の石塔とよく雰囲気が似てる。それもそのはず、ここ蒲生町のあたりは1300年前に百済がほろんだ時、天智天皇から土地をあたえられ千数百人の百済からの亡命者たちが住んだところ。司馬遼太郎『唐くに紀行』より。日本書紀にもそのことは書いてあります。 |
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この寺の往時をしのばせるおびただしい数の 石塔と石仏がまわりに配されて |
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ひとびとがこめた『願い』と『思い』と『祈り』に圧倒されます。 その数は京都嵯峨野の化野(あだしの)念仏寺の石塔よりも多い。 |
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石塔寺の石仏からうまれた |
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ここ蒲生野は万葉集のこの歌がよまれた地
あかねさす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき 額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)の |
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